續惡魔

By Jun'ichiro Tanizaki

The Project Gutenberg EBook of Zoku-Akuma, by Junichiro Tanizaki

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Title: Zoku-Akuma

Author: Junichiro Tanizaki

Release Date: October 4, 2011 [EBook #37626]

Language: Japanese


*** START OF THIS PROJECT GUTENBERG EBOOK ZOKU-AKUMA ***




Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka




Title: 續惡魔 (Zoku-Akuma)
Author: 谷崎潤一郞 (Junichiro Tanizaki)
Language: Japanese

Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka.

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續惡魔

佐伯《さへぎ》は、頭《あたま》の工合《ぐあひ》が日に增し惡くなつて行くやうな心地がした。癲癇《てんかん》、頓死、發狂などに對する恐怖が、始終胸に蟠《わだかま》つて、å
¶ã‚Œã§ã‚‚足らずに、いやが上にも我れから心é
ã®ç¨®ã€ŠãŸã­ã€‹ã‚’撒《ま》き散らし、愚にもつかない事にばかり驚き戰《をのゝ》きつゝ生《せい》をつゞけてå±
た。叔母が或る晚、安政の地震の話をして、もう近いうちに、再び大地震の起る時分だと、仔細らしく、豫言したのをちらりと小耳《こみゝ》に挾んでから、ひどく神經にç—
み始め、微かな家鳴《やなり》震動に遇つてさへ、忽ちどきん、どきん、と動悸が轟いて、體中《からだぢゆう》の血が一擧にè
¦å¤©ã¸é€†ä¸Šã—た。震動が止むと彼は一刻の猶豫もなく、轉げ落ちる樣に梯子段《はしごだん》を駈け下りて湯殿へ飛び込み、水道の栓を拈《ひね》つて熱した頭から水をシヤアシヤア注ぎかけながら、卒倒せんばかりに興奮した心氣《しんき》を辛《から》くも押し靜める。だんだん恐怖が募つて來るに隨ひ、端《はた》が騷がないでも、自分には何だか地面の搖れてå±
るやうな氣のする事が度ã€
あつた。そら地震だ! かう思ふと矢も楯も耐らず、ひよろひよろ[#「ひよろひよろ」に傍点]しながら立ち上がつて、無我夢中に襖を蹴つたり、床柱にぶつかつたり、散ã€
驚かされた揚句の果てが、
「謙さん、お前さん二階で何をしてå±
るんだい。」
かう云つて、下から叔母に怒鳴り付けられる。すると佐伯はワクワク膝頭をふるはせながら梯子段を下りて來て、例の如く冷水を浴び、
「どうも頭痛がして困るんです。」
と、何氣ない體《てい》で答へる。å
¶ã®çž¬é–“の恐ろしさと云つたら、本當の地震の時と少しも變らず、顏は眞ç´
にå

血して、心臓が面白いやうにドキドキ鳴つてå±
る。
「頭痛がするからツて、あんなにどたばた[#「どたばた」に傍点]暴れないでも好いぢやないか。何かお前さん此の頃氣がゝりな事でもあるんぢやないか。」
「いゝえ。」
と云つて、彼は叔母の追求を避けるが如く、こそこそ[#「こそこそ」に傍点]と、二階へ上がつて了ふ。
本郷は地盤がå 
固だと云ふけれど、叔母の家なんか坂道に建つてå±
るから、いざとなつたら險難《けんのん》なものだ。此處の二階に住んでå±
た日には、如何に考へても、大地震の場合に助かりやうがない。割合にシツカリした普請ではあるが、體《からだ》の偉大なç
§å­ãŒä¸ŠãŒã¤ã¦ä¾†ã¦ã•ã¸ã€ã°ãŸã‚Šã°ãŸã‚Šåœ°ï©©ããŒã™ã‚‹ç¨‹ã ã‹ã‚‰ã€åœ°éœ‡ã®å‰å¤§ãªå¥´ã«å‡ºæœƒã€Šã§ã¤ã“は》したら一と耐りもないだらう。「あれエ」とか何とか、叔母が土藏の鉢卷に押し潰されて悲鳴を擧げてå±
る間に、親不孝のç
§å­ã¯ã•ãƒ„さと逃げ出す。のろまな鈴木は逃げ損《そこな》つて梁《はり》の下に挾まれるかも知れぬが、なか〳〵å
¶ã‚Œãã‚‰ã‚ã®äº‹ã§æ­»ã¬ã‚„うな男ではない。どうしても自分一人が叔母と運命をå
±ã«ã—さうである。………さう思ふと、危險極まる二階の座敷が牢獄のやうに感じられる。
 一體地震と云ふものは、略《ほゞ》何年目頃に起るのだらう。å
¶ã‚Œã«å°±ã„てオーソリチーのある說明を聞いた上、間違ひのない所を確かめたくなつたので、或る時彼はめツたにå
¥ã€Šã¯ã²ã€‹ã¤ãŸã“とのない大學の圖書館へ駈け着け、カード、キヤタローグの抽き出しをガチガチと彼方《あツち》此方《こツち》引つ張り出した揚句、斯學《しがく》に關する書籍を山のやうに借り受けて、一日讀み耽つたが遂に要領を得なかつた。何でも大森博士の說に依ると、大地震はいつ何處《どこ》に生ずるか豫め知る事が出來ない。古來東京には數囘の大地震があつたが、將來もå¿
ずあるとは明言されぬ。å¿
ずないとも明言されぬ。甚だ曖昧である。今年は大地震があるだらうなどゝ、妄《みだ》りに危惧の念にé©
らるゝは愚昧な話だと云ふけれど、いつ起るか判らなければ心é
ã™ã‚‹ã®ã¯ç•¶ã‚Šå‰ã ã‚‰ã†ã¢ã‚„ないか。
どうも佐伯には、大森博士がうす〳〵大地震の起る時期を知つてå±
ながら、å
¶ã‚Œã‚’隱してå±
るやうな氣がしてならなかつた。博士の事だから、大體の見當は付いてå±
ても、何日の何時何分と云ふ明瞭な豫測が出來ない爲め、乃至いまだ根據のある科學的說明が出來ない爲め、徒《いたづ》らに天下の人心を騷がす事を憂へて發表を遠æ
®ã—てå±
るのではあるまいか。何となくå
¶ã‚Œã‚‰ã—い口うら[#「うら」に傍点]が講義の中に仄《ほのめ》かしてあるやうだ。若しひよ[#「ひよ」に傍点]ツとしてさうだとすれば大變である。天下の人心を騷がせても構はないから、學理上の根柢がなくても差し支へないから、つまらぬ遠æ
®ãªã‚“かしないで、大凡《おほよ》その所を早く敎へて貰ひたいものだ。………かう云ふ邪推をすればする程、佐伯はます〳〵薄氣味惡くなつて、知識の無い人間のæƒ
なさを、今更の如く悲しんだ。さうして、單身博士の私邸を訪問しやうかと迄思ひç
©ã¤ãŸã€‚「こんな下《くだ》らない事ばかり苦にç—
み續けてå±
て、己はいつ迄世の中に生きてå±
られるだらう。」―――彼は到底今年の暮れが安隱《あんをん》に越せないやうな心地がした。每日ã€
ã€
、朝夕《あさゆふ》に五å
­åº¦ã‚‚胸をドキ付かせ、渾身《こんしん》の神經をピクピク戰《をのゝ》かせて、一つ間違へば氣狂《きちが》ひになりさうな危《あぶなツ》かしい輕業《かるわざ》を演じながら、どれだけ命が保《も》つて行くだらう。手を換へ品を換へて、執拗に襲ひ來る恐怖の大波を搔い潜りつゝ、盲目《めくら》æ»
法《めつぽふ》に悶え廻り、次第に精根が盡き果てゝ行く無æ
™ã€Šã‚€ã–ん》な姿を、佐伯は自《みづか》ら顧みてハラハラするやうな折もあつた。呪ふべき運命が、もうつい[#「つい」に傍点]近所まで迫つて來て、刻一刻に彼をå¾
ち構へてå±
た。
天長節も過ぎて、十一月の晚秋の空が爽やかに冴え返り、上野の森の木ã€
の梢の黃ばむだ色が、二階の窓から眺められる時分まで、それでも彼はどうにかして生きてå±
た。相變らず學校は缺席だらけ、いつも座敷の壁のè
°å¼µã‚Šã«é ­ã‚’擦り附けて、枷《かせ》を嵌められた罪人のやうに窮屈らしく臥轉びながら、ウヰスキーを飮んだり、ç
™è‰ã‚’吹かしたり、やツとこさ[#「やツとこさ」に傍点]と落ち着かぬ神經を麻痺させて、石塊《いしころ》のやうな頭を抱へてå±
る。さうして、時ã€
文藝倶樂部や講釋本の古いのを引き擦り出して、可なり熱心に讀み耽つたが、たま〳〵ç
§å­ã§ã‚‚二階へ上がつて來ると、惶てゝå
¶ã‚Œã‚’蒲團の下へ押し隱した。
「å
„さん、今何を讀んでいらしつたの。………そんなに隱したつて、妾ちやあんと知つてå±
るわ。」
かう云ひながら、ç
§å­ã¯æˆ–る時二階の窓にè
°ã‚’掛けて、長いå
©è„šã‚’臥てå±
る佐伯の眼の前に放《はふ》り出した。さうして、
「ふゝん」
と鼻のå
ˆã§è¼•ãç¬‘つた。ç
§å­ãŒã“んな笑ひ方をするのは、母親や鈴木を對手にする時にのみ限られてå±
たものだが、此の頃は佐伯に向かつてもちよいちよい[#「ちよいちよい」に傍点]用ひるやうになつた。
「そんなに見られるのが耻づかしくつて?」
と、å
©æ‰‹ã‚’窓の鴨å±
《かもゐ》に伸ばして、房ã€
とした庇髮の頭《つむり》をがつくり[#「がつくり」に傍点]俯向かせ、足許の犬をからかふやうに佐伯の姿を見下ろしてå±
る。汚《よご》れツぽい顏が今日は見事に澄んで透き徹つて、旨味《うまみ》のある軟かい造作が、蠟しんこ[#「しんこ」に傍点]のやうな物質を聯想させた。大方體の加減でも惡いのであらう。肉附きの好い鼻や頰ツぺた[#「ツぺた」に傍点]まで西洋菓子のマシマローのやうに白ã€
《しろじろ》と艶氣を失ひ、唇ばかりが眞ç´
に嫌らしく濕《うる》んでå±
る。大島の龜甲《きつかふ》絣《がすり》の綿å
¥ã®è£¾ã‹ã‚‰ã€åæ–‡ã«è¿‘い大足が疊の上へのさばつ[#「のさばつ」に傍点]て、少し垢の着いた、彈《は》ち切れんばかりに踝《くるぶし》へ喰ひ込んだ白足袋の鞐《こはぜ》が一枚|壞《こは》れかかつてå±
るのを見ると、佐伯は餌を投げられた獸のやうな眼つきをして、
「畜生! 又己の頭を引ツ搔き廻しに來やがつた。折角人が面白さうに本を讀んでå±
るのに餘計なことだ。」
かうè
¹ã®ä¸­ã§å«ã‚“だ。さうして讀みさしの「高橋お傳」の講釋本を、シツカリ臀《しり》のしたに敷いて、わざと落ち着き拂ひながら、
「此の本を見せたら、僕よりも君の方が耻づかしいだらう。」
と、胡散臭いことを云つた。
「一體どんな本なの。」
「Obscene picture だよ。」
かう云つて、彼はさも意地が惡るさうににやにや[#「にやにや」に傍点]笑つた。
「いゝわ。構はないから、いくらでも出して御覽なさいな。そんな物を耻づかしいとも珍らしいとも思やしませんから。………」
ふと、佐伯はç
§å­ã®é¡ãŒæã—く obscene な表æƒ
に變つてå±
るのに氣が附いた。いつぞや鈴木が、
「實は以前私とも關係があつたんです。」
と云つた言葉を想ひ出して、此の女の面魂《つらだましひ》では滿更無根の事實でもあるまいと思つた。なか〳〵氣の利いた口をきいてå±
ながら、一遍でも書生の鈴木に玩å
·ã€ŠãŠã‚‚ちや》にされた事があるとすれば甚だ痛快である。
「成る程、今時の女學生はえらい[#「えらい」に傍点]ものだね。君のやうな女が藝者になつたら、嘸《さぞ》繁昌するだらうよ。」
ポンと投げるやうに云ひ捨てゝ、一と息深くç
™è‰ã‚’吸つて、彼は臥《ね》ながら自分の胸の邊《へん》をうつむいて眺めた。大いに罵つたやうな體裁《ていさい》であるが、å
¶ã®å¯¦ã“んな言葉を聞くと、ç
§å­ã¯ã„よ〳〵增長して、得意の鼻を蠢《うごめ》かすのは判《わか》り切つてå±
る。ほんたうに嘲る積りで云つたのか、乃至《ないし》はお世辭を云つたのか、我れながら明瞭でなかつた。さうして、俯向《うつむ》いたまゝ、女の視線が痛い程自分の額を射てå±
るのを感じた。いつの間《ま》にか、「高橋お傳」は臀の下から背筋の方へ辷《すべ》り込み、肩のあたりでゴロゴロしてå±
るので、佐伯は縛り付けられた人間のやうに身動きが出來ず、嚙みつくやうな眦《まなじり》で女を睨んだ。
「å
„さんは正直な癖に噓ツつきね。ちよいと鈴木に似てå±
るわ。」
と、ç
§å­ã¯å£å
ƒã«å¾®ç¬‘を泛べ、眼球《がんきう》をごろり[#「ごろり」に傍点]と轉《ころ》がして、男の頭を凝視《ぎようし》してå±
る。å
¶ã‚ŒãŒä½ä¼¯ã«ã¯ã€ä¸åº¦éŽŒå€‰ã®å¤§ä½›ã‚’下から覗《のぞ》いた時のやうな、馬鹿氣《ばかげ》て大きな、威力のある顏に見えて、モウ何も彼も洞察されて了ひさうに、ドギマギしながら、
「ヘーエ、己はそんなに噓ツつきか知らん。」
かう云つて、力一杯うんと氣張つて空《そら》嘯《うそぶ》いた。
「Obscene picture だなんて、誤魔化したつて駄目よ。あたしちやあんと知つてå±
るわ。」
「知つてå±
るなら、いゝぢやないか。」
彼は不覺にも微《かす》かな顫へ聲を出して、臆ç—
らしく眼をå
‰ã‚‰ã›ãŸãŒã€
「人の目を窃《ぬす》んで、留守の間に部屋の中を搔き廻して見れば、誰にだツて判るさ。女の利巧と云ふ奴は、みんなå
¶ã‚Œãªã‚“だ。」
と、叩き付けるやうに云つたと思ふと、體中《からだぢゆう》がわなゝいて、耳の着け根まで眞ç´
になり、どうしたはずみ[#「はずみ」に傍点]か、淚が泛《うか》んで來る。
「人の目を窃んでå±
るのはお互ひ樣だわ。å
„さんだつて、こツそり[#「こツそり」に傍点]可笑しな本を讀んでいらツしやるぢやありませんか。」
ç
§å­ã¯ä½ä¼¯ã®æ³£ããƒ„面《つら》を見てから、急にå
ƒæ°£ãŒå‡ºãŸã‚‰ã—く、殊更|勞《いたは》るやうな優しい調子で、根性の惡い事を云つた。
「實はあたし此の間å
„さんの本箱を調べて見たの。參考書なんて物は一つもなくツて、妙な講釋本が五å
­å†Œï½œå
¥ã€Šã¯ã²ã€‹ã¤ã¦å±
るきりなのね。どうしてあなた方に彼《あ》んな本が面白いんだか、私には解らないわ。近代人にも似合はないと思ふわ。餘計なお世話かも知れないけれど、å
„さんは餘程此の頃どうかしていらツしやるんぢやなくツて? 端《はた》から見てå±
ても、ほんたうに案じられてよ。」
いやに落ち着き拂つて、憎らしい程心é
ã•ã†ãªè¡¨æƒ
を裝つてすらすらと喋舌《しやべ》り出すç
§å­ã®è¨€è‘‰ã‚’、半分まで聞くと、もう佐伯はå±
たゝまれなくなり、耳の穴へ手を挿し込んで、聽覺を攪亂させたくなつた。ç
§å­ãŒèªžã‚Šçµ‚ると、漸う雷鳴が濟んだ後《あと》のやうに、ホツと一と息ついて、
「講釋本が面白ければ、近代人になれないのかい。å
¨é«”近代人なんてものが、女に解《わか》るもんぢやないんだ。」
「そんなら、何だツて、そんなに骨を折つて噓をついたり、隱したりなさるの。」
「君はなか〳〵えらいよ。………」
何か辛辣《しんらつ》に毒づいて、一擧に笑殺してやるつもりのところ、こんな平凡な文句より外見付からないで、彼の調子はだんだん哀願的に變つて行く―――
「えらい[#「えらい」に傍点]と云つたら、もう好い加減にしたらどうだ。君のやうな女が得手勝手に僕等の中へ割り込んで來て、邪魔をしたり、心é
ã‚’したりする權利はないんだ。一體誰が許して、いつ頃から君はそんな權利を持ち始めたんだい。」
佐伯はå
©æ‰‹ã«é ¸ç­‹ã‚’押さへて、呻吟するやうな言葉遣ひをしながら、
「君に附き合つてると、鈴木でも僕でも、だんだん頭が馬鹿になるんだ。お蔭で僕の神經衰弱は、東京へ來てからズツトひどくなつたよ。近代的であらうが、なからうが、僕はもう講談本以上の込みå
¥ã¤ãŸæœ¬ãªã‚“か、とても讀み續ける根氣がないんだ。」
「そんなに私の事がお氣に觸《さは》つて、………」
「何でもいゝから、もうあんまり二階へ來ないやうにして貰はうぢやないか。」
云ひ終ると、彼は齒を喰ひ縛《しば》つたまゝ眼を閉ぢて、死んだやうに靜かになつた。å
¶ã®ç™–例の動悸はひどく昂《たか》ぶつて、激しい息づかひが相手にもハツキリ聞えた。ç
§å­ã¯æš«ãé»˜ã¤ã¦è
°ã‹ã‘てå±
たが、やがて、
「あたしが惡《わる》かつたんなら、堪忍して頂戴な。けれども、あたしには、å
„さんの氣持がよく解《わか》つてå±
てよ。」
こんな捨て臺辭《ぜりふ》を殘して、悠ã€
と下りて行つた。
もう佐伯は、再び臀の下から「高橋お傳」を取り出して見る勇氣がなかつた。妙に卑しく、穢《きたな》らしくè
ã‚Œåˆ‡ã¤ãŸè‡ªåˆ†ã®è
¦å‘³å™Œã‚’、殘é
·ã«æ˜Žã€Šã‚か》るみへ曝し出されて、散ã€
輕蔑された事を思ふと、立つてもå±
ても堪へ切れない程|極《きま》りが惡かつた。
å
¶ã®æ¥µã€Šãã¾ã€‹ã‚Šæƒ¡ã•ã‚’紛らす爲めに、蒲團の中から机の抽き出しへ手を伸ばして、ビユーカナン、ヰスキーのポツケツトå
¥ã‚Šã®ç½Žã‚’捜つて枕に頤を押しつけながら、アルミニユームのコツプで、ちびりちびり飮み始める。俯向《うつむ》きになると、寢勝手の惡いせゐ[#「せゐ」に傍点]か、方ã€
の節ã€
《ふし〴〵》が痛む。………暫く肘を衝いて、上半身を支へてå±
れば、直ぐとè
•ãŒç–²ã‚Œã¦äº†ãµã€‚さうかと云つて、å
©è‚©ã‚’落せば、胸板がぺつたりと蒲團へくつ[#「くつ」に傍点]附き、喉笛が枕に緊められて、é
’を飮むことは愚か、呼吸さへ苦しくなる。背筋を少しでも擡げると下è
¹ãŒåˆ‡ã€Šã›ã¤ã€‹ãªãå£“迫され、è
°ã®éª¨ã®è¶ç•ªã€Šã¦ãµã¤ãŒã€‹ã²ãŒçª®å±ˆã•ã†ã«æ’“《しな》つて來る。どうかして、五體を樂に置かうと鹽梅して見るが、力の權衡《けんかう》上、何處かに錘《おもり》を下げたやうな、苦しい點を生ずる。
一滴も殘らず飮み干して、空き罎を投げ出すと同時に、げえつと大きな噫《おくび》をしながら、彼は體を裏返しにして仰向きになつた。近來になく、ポウツと快く醉つてå±
る。「快く」と云ふのは勿論程度問題で、蒲團の汚《よご》れてå±
る事や、手足が發汗してぬらぬらしてå±
る事や、寢間着が脂だらけに垢染みてå±
る事や、二三日續けざまにç
§å­ã® Dream に依つて惱まされてå±
る事や、凡べてさう云ふ忌まはしい所へは、成る可く聯想を及ぼさないやうにして、ホンの上《うは》ツ面《つら》の醉心地を祝福したのである。
三十分ばかりの間、彼はいろ〳〵の奇怪な夢を、見ては覺め見ては覺めして、とうとうしまひに、ぐつすり[#「ぐつすり」に傍点]と眠る事に成功した。それでも時ã€
、靜かな寢顏に不安の影が押し寄せて、眼瞼をピクピクさせたり、睫毛を戰《そよ》がせたりした。夕方、電燈がついて間もなく、晚飯の知らせにお雪が上がつて來て呼び起したのを、彼は微かに覺えてå±
る。
「うん、解《わか》つたよ、解つたよ。―――己は今日《けふ》工合が惡いんだから、飯は喰はないんだ。お粥かい? お粥もいらない。」
すつぽり被つた夜å
·ã®ä¸­ã‹ã‚‰ã€ãƒ¢ã‚°ãƒ¢ã‚°ã¨ã“んな問答をして、再び眠り續けた。
けれども、それから後はあんまり眠られなかつた。まだ何處か知らに、十分睡氣が殘つてå±
さうであるのに、物の二三時間も彼方《あつち》此方《こつち》寢返りを打つた揚句、遂にパツチリと眼を覺ました。頭の上の硝子窓から、星が幾粒もきれいに輝いてå±
る。押å
¥ã‚Œã®è”­ã§é¼ ã‚‰ã—いものが、コツコツ音をさせてå±
る。彼は又臀の下から「高橋お傳」を取り出したが、直きにå
¶ã‚Œã‚’讀んで了つて、今は「佐竹騷動|妲妃《だつき》のお百《ひやく》」と云ふのを、本箱の底から引き拔いた。
此れも「高橋お傳」と同じやうな講釋本である。表紙には、妲妃のお百が髮を振り亂し、短刀を口に咬へて、白い脛、ç´
い蹴出《けだ》しを露《あら》はに、舷からï©
中へさんぶと飛び込まうとしてå±
る石版畫が刷つてある。藝術として三文の價値もないか知れぬが、此の頃の佐伯は、かう云ふ繪に一番興味を惹かれる。毒ã€
しい程靑い波の色に取り卷かれて、今や將《まさ》に水面へ觸れんとする女の足の裏の曲線、妖婦らしい眼の表æƒ
、手頸襟頸など、大した不自然もなく描かれてå±
る。å
¶ã‚Œã‚’見てå±
ると、此の本のå†
容―――さま〴〵の込みå
¥ã¤ãŸã€æ®˜é
·ãªè©±ã®ç­‹ãŒæƒ³åƒã•ã‚Œã¦ã€è‡ªç„¶ã¨é­‚をそゝられる。
卷《くわん》を開いて、讀むに隨つて、だんだんと面白くなつて來る。
[#ここから一字下げ]
これより小さんのお百がおひ〳〵毒婦の本性を現はし、無殘にも桑名屋德å
µè¡žã‚’十萬坪に於いて殺害しますると云ふ條《くだ》りは次囘に………
[#ここで字下げ終わり]
などゝ云ふ調子に釣られ、彼は好奇心をç
½ã‚‰ã‚ŒãªãŒã‚‰ã€æ„šéˆãªçœ¸ã€Šã¾ãªã–し》をして、一氣に讀み續ける。
十萬坪の德å
µè¡žï¥°ã—の場は、なか〳〵名文である。
[#ここから一字下げ]
………名にし負ふå
¶ã®é ƒã®åè¬åªã®äº‹ã§ã”ざいますから、まことに淋しいもの、あたりは人《ひと》ツ子《こ》一人å±
りません。折柄ポツーリポツーリと雨さへ降り出して參つた樣子。時分はよしとお百は德å
µè¡žã®éš™ã‚’見すまし、å
¼ã¦å¸¶ã®é–“に隱し持つたる短刀を拔くより早く、男の脇è
¹ã¸ã‚°ã‚µã¨ã°ã‹ã‚Šã«ï©•ãå¾¹ã—ました。「アツ」と云つて、德å
µè¡žãŒé€ƒã’ようと致しましたが、重い荷物を背負はされてå±
りますので、身動きもなりません。「う、う、うぬ、さては己を殺すのだな。」「德å
µè¡žã•ã‚“、お前の生きてå±
るうちは、わたしの出世の妨げæ•
、お氣の毒だが殺してやる。此れと云ふのもみんなお前が馬鹿だからさ。グãƒ
グãƒ
云はずに早く往生しておしまひよ。」と、襟髮取つて引き廻し、所嫌はずæ»
多《めつた》斬り、………プツーリ喉笛を搔き切つて、止《とゞ》めを刺し、死骸は河へ投げ込んでしまひました。………
[#ここで字下げ終わり]
佐伯はふと、自分の喉笛のところへ手をあてゝ、輕く押して見た。恰度古いæ¤
子のスプリングのやうに、皮の下からぽツこり[#「ぽツこり」に傍点]と突起してå±
るグリグリした骨を、薄い、冷《つめ》たい、ぴかぴかした刃物で抉《ゑぐ》られた時は、どんなだらう。此の突起物を英語で Adam's apple と云ふのだと、彼は中學時代に敎はつた事がある。敎師の話では、昔アダムが林檎を喰べて、å
¶ã‚ŒãŒå–‰ã¸å¡žã€Šã¤ã‹ã€‹ã¸ã¦ä»¥ä¾†ã€ã“んな突起が人間に出來たと云ふ傳說から、斯く稱するのださうである。―――妙な事を記憶してå±
たものだと思ひながら、彼は猶もページを追つて行く。
それから二三枚の間は息もつかずに惹きå
¥ã‚Œã‚‰ã‚Œã¦ã€ãŠç™¾ãŒã¨ã†ã¨ã†ä½ç«¹ä¾¯ã®ãŠéƒ¨å±‹æ¨£ã¨ãªã‚Šæ¿Ÿã¾ã—、惡家老の那川《ながは》采女《うねめ》と密通の結果、お家騷動を起す段取りまで進んだ時、突然二階がみしみしと搖れた。そら地震だ! 暫く忘れてå±
た恐怖がと胸《むね》を衝いて、彼は夢中で蒲團の上に撥ね返つた。
見るとç
§å­ãŒã€æ¢¯å­æ®µã‚’上り切つた處に、いつの間にか突ツ立つて笑つてå±
る。米琉《よねりう》の絣の寢間着に、伊達《だて》卷《まき》をぐるぐると卷き着け、なまめかしく襟をはだけさせて、素足のまゝ、電燈の傘の影の暗《くら》がりへ、おいらんのやうにだらりと彳《たゝず》んでå±
る。
「もうちつと靜かに上《あが》り下《お》りしたらいいぢやないか、まるで地震のやうだ。」
欺かれた恨みと驚ろきとを一緖くた[#「くた」に傍点]にして、彼は突æ
³è²ªã€Šã¤ã¤ã‘んどん》に浴びせかけたが、何か知ら容易ならぬ事件が、後《あと》に胚胎《はいたい》してå±
るやうな氣持がした。
「だつて、å†
證で上がつて來たら、却つてå
„さんは都合が惡かなくつて。」
いきなりç
§å­ã¯ã¤ã‹ã¤ã‹ã¨æž•è¨±ã¸æ“¦ã‚Šå¯„つて、
「ほら御覽なさい。―――此の本はなあに。」
と、据わる拍子に夜å
·ã®ç‰‡è¢–を膝の下に敷いて、佐伯を押へ付けるやうにしながら、講釋本を奪ひ取つた。
大盤石《だいばんじやく》の如き重味《おもみ》にのしかゝられて、彼の頭にウヨウヨと發生してå±
た女に對する些細な負け惜しみだの、面憎さだの、極り惡さだの、そんなものは一度にæ»
茶æ»
茶に踏み躪られ、誘惑の網を藻搔き出たい一心の恐ろしさが、意氣地のない愁訴の聲となつて、女の足許に戰《をのゝ》き響く。
「ç
§ã¡ã‚„ん、君は何æ•
さうなんだらう。もう、後生だから彼方へ行つてくれないか。」
佐伯はå
©æ‰‹ã‚’顏へあてゝ、下を向いて云つた。
「君は惡魔だ。………人が折角面白さうに本を讀んでå±
るところを、邪魔しなくつてもいゝぢやないか。己は此れ以上の强い刺戟に堪へられなくなつたんだから、もう直き死ぬ迄、ソウツとして放《はふ》つて置いて貰ひたい。」
「そんなに興奮なさらなくつてもいゝわ。今夜はおつ母さんも鈴木も留守だから、ゆつくりお話ししようと思つてやつて來たの。―――あたしに二階へ來るなとか、傍へ寄るなとか云つたつて、そりやあ駄目よ。」
ç
§å­ã¯å
©æ–¹ã®æ¡ã‚Šæ‹³ã€Šã“ぶし》を乳房の上へ重ね、ふところをふつくら[#「ふつくら」に傍点]脹《ふく》らがして、å
¶ã®ä¸­ã¸é ¤ã®å
ˆã‚’突つ込んだまゝ、いかにも橫着さうに、
「å
„さんは、おè
¹ã€Šãªã‹ã€‹ã®ä¸­ã®äº‹ã‚’正直に外へ出しちまつたらいゝぢやありませんか、隱したつて隱し終せもしない癖に、隨分をかしいわ。―――ねえ、å
„さんにはそんなに鈴木の事が氣になつて?」
かう云ふと、今度は片手を袂から出して、背中をさすつてやりながら、息がかゝる位、頰を擦り寄せた。
「鈴木の事なんぞどう[#「どう」に傍点]でもいいんだ。―――己は噓を吐いてゞも何でも、一時逃れに安隱に生きて行くよりほか、命が續かないんだ。衰弱した體や神經を疲らすやうな事は、絕對に堪忍《かに》してくれ給へ。」
眼を閉ぢて、こんな事を云つてå±
るうちに、佐伯の鼻å
ˆã§ã±ã¤ã¨å¥³ã®ç€ç‰©ã®ã¯ã ã‘る臭がした。さうして、枕許の疊がもくもく持ち上がるやうな氣持がした。疑ひもなく、ç
§å­ãŒå½¼ã®çœžæ­£é¢ã¸ä¾†ã¦ã€ã©ã¤ã‹ã¨æ®ã‚ã‚Šç›´ã—たらしい。
「解つてよ、解つてよ、―――å
„さんは、いくらあたしを馬鹿にしたつて、あたしの方から蔽蓋《おツかぶ》せて出れば、どうする事も出來ないんでせう。」
女は呪文《じゆもん》を唱へるやうにくどくどと云つて、片手で佐伯の手頸を掴み、片手で顏へあてがつた十本の指を解《ほど》き始める。痩せた手頸を樂《らく》に一と廻りした掌《たなごゝろ》は、柔かく冷え冷えとして、指å
ˆãªã©ã¯é‡‘屬製のè
•è¼ªã®ã‚„うに、痛い程凍え切つてå±
る。指を解《ほど》いてå±
る手は、今まで懷にあつたせゐ[#「せゐ」に傍点]か、いやににちやにちや[#「にちやにちや」に傍点]脂が湧いて生暖かく粘つてå±
る。
男の指には、可なり力がå
¥ã¤ã¦å±
ながら、强ひて抵抗するやうな樣子もなく、針線《はりがね》を撓《たわ》めるやうにして、一本一本解かれて了つた。
「惡魔! 惡魔!」
と、彼は物狂ほしく連呼したが、やがてぱつちり眼を開くと、女の顏は思つたよりも、もつと間近く、自分の顏の直ぐ前に殺到してå±
る。彼は明《あか》るみで、人間の面をこんなにまざまざ[#「まざまざ」に傍点]見たことはない。唯でさへひろびろと餘裕のある顏が、瞳へå
¥ã€Šã¯ã²ã€‹ã‚Šåˆ‡ã‚Œãªã„程擴大されて、白つぽく、壁のやうに塞がつてå±
る。å
¶ã®å£ã®ãŠã‚‚ては一體に靑ざめて、肌理《きめ》が非常に粗《あら》く、一と通りの氣味惡さではないが、不思議に妙な誘惑力を藏してå±
るらしい。殊に怪物のやうな眼の球が、ぎろり、ぎろりå
‰ã¤ã¦ã€ä½ä¼¯ã®é­‚を追ひ駈ける。―――動物電氣と云ふのは、大方かう云ふ作用を云ふのだらう。彼はå
¶ã®å ´ã§å½åº§ã«æ°£æ­»ã€Šãã˜ã€‹ã«ã™ã‚‹ã‚„うな神心の打擊を、辛うじて持ち堪《こた》へるより外、逃げる事も、どうする事も出來なかつた。さうして、泣き伏すやうに女の膝へ倒れて云つた。
「ç
§ã¡ã‚„ん、君は物好きに己を殺すんだ。己を氣狂ひにさせるんだ。………女と云ふ奴は、みんなかう云ふ風にして、男を片つ端からè
ã‚‰ã›ã‚‹ã ã€‚」

それから二三日過ぎた。鈴木がå±
ても、叔母がå±
ても、ç
§å­ã¯æ§‹ã¯ãšäºŒéšŽã¸ä¾†ã¦ä¸€æ—¥éŠã‚“でå±
る。
「ç
§ã¡ã‚„ん、ちよいと下へ來て、手を借しておくれでないか。お前此の頃は、しツきり無しに二階へ上がり込んでå±
るが、謙さんと仲直りをしたのかい。」
叔母が梯子段の下から、こんな事を云ふ。
「えゝ、すつかり仲直りをしたのよ。」
と云つて、ç
§å­ã¯çœ¼ã‚’細くして、狡猾さうに笑ひながら、ぢツと男を見å
¥ã‚‹ã€‚
「おい、もう大槪にして下へ行つてくれ。己は昨今こんな强い刺戟を受けて、どうして生きてå±
られるのか、不思議でならないんだ。お前がå±
ると、不安で堪らないから、トツトと下りてくれ給へ。」
佐伯は破裂しさうな心臟を、後生大事にシツカリ押へて、深い深い谷底へ昏ã€
と沈んで行くやうな眩暈と失神とを感じつゝ、女に訴へる。どうかすると、手足のå
ˆãŒæ°´ã«æµ¸ã€Šã²ãŸã€‹ã•ã‚Œã¦è¡Œãã‚„うに痺《しび》れかゝつたり、頭の片側が急にç¾
《うすもの》をかけたやうにもやもや[#「もやもや」に傍点]とする。彼の肉體は屍骸の如く疲れてå±
ながら、神經ばかりがぴくぴくと銳敏に焦ら立ち、夜も晝も眠られないで、血色はいよいよ惡くなるのであつた。
丁度四日目の晚、叔母がç
§å­ã‚’無理やりに引つ張つて、何處ぞへ外出した留守に、梯子段をみしり、………みしり、………と、相變らず陰鬱な音をさせて、鈴木がむつゝり[#「むつゝり」に傍点]した容貌を二階に運んだ。いつぞや喧嘩をして此のかた、å
¨ãä½ä¼¯ã¯è¨€è‘‰ã‚’交はさなかつたが、以前より一層、人相が險惡になつてå±
る。銘仙の綿å
¥ã‚Œã«ã‘んどん[#「けんどん」に傍点]のå
µå
’帶《へこおび》を締め、洗ひ晒した紺足袋の上で、白い綿ネルの股引きの紐を、子供のやうに結んでå±
る。
「いや、どうもお邪魔を致して相濟みません。………」
と、云ふかと思ふと、氣むづかしさうな顏の構造を俄かに建て直して、にたにたと笑つた。まるで寄席《よせ》藝人《げいにん》が、百面相をするやうな早變りである。
「………此の頃は、體のお加減は如何です。」
柄にもないお世辭を振り撒いて、鈴木は枕許へ畏まつて、å
©æ‰‹ã‚’行儀よく膝頭へ置いた。何にしても、あまり意外な、底知れぬæ
‹åº¦ã§ã‚る。事に依つたら、懷に匕首《あひくち》でも忍ばせてあるかも知れん。
「やつぱり、工合が惡くて困ります。―――失敬ですが、御免を蒙つて、此の儘にさせて置いて頂きます。」
佐伯は橫つ倒しに臥ころび、脇の下まで夜å
·ã‚’かけて、片手をå
¶ã®å¤–へ出した。「人を馬鹿にしてå±
やがる。」
と思ひながら、成る可く落ち着いて、平靜を裝つて、物を言はうと努めて見る。
「さあ、どうぞお樂にいらしつて下さい。………實は何んです、またç
§å­ã®äº‹ã«å°±ã„て、お伺ひ致したいと存じまして、………」
「はあ、何ですか。」
と、佐伯の受け答へをしたのが、あまり早すぎたので、鈴木は頓着なく話を進める。
「此の頃ç
§å­ãŒã€ã¡ã‚ˆã„ちよい二階へお邪魔に伺ふやうですが、あれはどう云ふ譯でございませう。」
å
¨ç„¶ç›£ç£ï©›ã®å£å»ã€Šã“うふん》である。「一體貴樣は婉曲に云つてå±
る積りなのか、皮肉を云つてå±
る積りなのか。」と、怒鳴り付けたいところを、佐伯はヂツと辛抱してå±
る。
「いつぞや、お願ひした事を、あなたはお忘れになりはしないですか。」
「あなたは僕にどんな事をお賴みなすつたか知れませんが、僕は何も承諾した覺えはありませんよ。―――ç
§ã¡ã‚„んの事はå
Žã«è§’として、å
¶ã‚Œã ã‘は明かにして置いて下さい。」
「いや、承諾なさらなかつたと仰つしやるなら、仕方がないです。そんなら、å
¶ã‚Œã¯åˆ¥ã¨ã—て、ç
§å­ã®äº‹ã‚’今少しお尋ねしませう。………」
かう云つて、鈴木は左の手で一方の袂を捲くつて、右の手の二のè
•ã®é‚Šã€Šã‚たり》を頻りに撫でゝå±
る。手頸の眞黑なのに引き換へて、筋肉の頑丈に發逹した、太い血管の蚯蚓《みゝず》のやうに走つてå±
るè
•ã€Šã‹ã²ãªã€‹ã®è‰²ã®ç™½ã„のがいかにも不愉快な、不調和な感じを與へる。馬鹿な奴は、手つきから指の恰好まで馬鹿に見えると、佐伯は思つた。
「私には此の二三日、どうもç
§å­ã®ã‚なたに對する素振が可笑しいと思はれるんです。―――またあなたにしてもさうでせう。何も私から賴まれないと仰つしやつたところで、苟且《かりそめ》にも私と結婚の約束をした女にですな、それに一日|戯《たはむ》れていらつしやると云ふのは、隱當ぢやございますまい。―――一體あなたはどう云ふお考へなんでせうか。此れに就いて要領を得た御返事を願ひたいんです。」
「はゝあ。」
と云つて、佐伯は敷島を一服吸つて、鼻の穴から立ち昇るç
™ã®ç—•ã‚’眺めた。極めて取り濟ました挨拶振りであるが、此れは相手を輕蔑する爲めよりも、寧ろ相手の恐るゝに足らざる事を、自分の神經に納得させる爲めに云つたのである。ç
™è‰ã‚’一寸ばかり吹かすと、直ぐに吸ひ殻をç
™è‰ç›†ã®ä¸­ã¸æŠ•ã’込んで、今度は硝子窓の方を向いた。………空が眞黑で、星が一つも見えない。………神經は十分納得が出來ないかして、未だイライラと騷いでå±
る。恰も胸の中に、無數の一寸法師が、蛆《うじ》の如くに湧いて戰《いくさ》をしてå±
るやうである。
鈴木は始終の樣子をヂロヂロと眺め、佐伯の手の働く所、首の赴く所を、瞳で追ひ駈けてå±
たが、遂に返答がないので、暫くもぢもぢ躊躇《ためら》つた後、再び口邊に薄笑ひを洩らしつゝ喋舌り出す。此の男はどんなに感æƒ
の沸騰した場合でも、話をする前にå
ˆãšè–„笑ひをするのが常癖《じやうへき》となつたらしい。
「さう云ふやうに默つていらしつても、御返事がない間は、一と晚でもかうやつてå±
りますから、斷乎とした、男らしい御返事をなすつた方がいゝでせう。それに、あなたのå
¶ã®å¾¡æ¨£å­ã‚’見ても、もう大槪は私に解《わか》つてå±
ります。人間と云ふ者は、みんな不思議に正直なもんですからな。」
いくら平靜を裝はうとしたつて、鈴木に口を利かせて置けば置く程、怒《おこ》らずにはå±
られない。彼《あ》の口å
ˆã§ãƒã‚¯ãƒã‚¯ï©•ãƒ„つかれると、どんな頑丈な堪忍袋の緖でも、殆んどå
ˆå¤©çš„の不可抗力を以て、叩き破られて了ふ。況《いは》んや佐伯に於いてをやだ。馬鹿と神經衰弱の應對だから、第三者が見物したら餘程面白いå
‰æ™¯ã ã‚‰ã†ã¨æ€ã²ãªãŒã‚‰ã‚‚、佐伯はムカムカとè
¹ãŒç«‹ã¤ã€‚
「僕の考へと云へと云つたつて、考へなんかないんだから、御返事するå¿
要はありませんよ。君の方で大槪解つたのなら、それでいゝぢやありませんか。」
窓外の桐の葉に、パラパラと音がして雨が降り出した。早くç
§å­ãŒæ­¸ã¤ã¦ä¾†ã‚Œã°ã„ゝが、………
「フン、何かとおもつたら、さう云ふ事を仰つしやる。―――あなたが、さう云ふ卑屈なæ
‹åº¦ã‚’お取りになるのは、結局御損ですよ。」急に此處《ここ》から殺氣を含んだ調子に變つて、「決して私は此の儘に濟ませやしないのです。私には十分な覺悟があつて、已むを得なければ最後の手段を取る決心ですから、言を左右に托して逃れようとなさると、却つてアテが外れます。」
とうとう來たな、と、佐伯はè
¹ã®åº•ã§å‘Ÿã„た。斯う威嚇《おどか》されて見ると、成る程凄いものだ。現にたつた今、「最後の手段」と云はれた瞬間に、心臓がヒヤリとして、口から半分出かゝつてå±
た負け惜しみの文句が、忽ち引き込んで了つた事は確かである。å
¶ã‚Œã§å±
て、いつものやうな切迫した、あはや卒倒しさうな恐怖が襲撃して來ないのは、どう云ふ譯だらう。彼は反對にå
¶ã®ç‰©å‡„さを、適當な刺戟を持つ興奮劑として、味はふやうな氣分になつてå±
る。
「君の方に決心があるなら、何とでもいゝやうにし給へ。―――もと〳〵僕は、君からそんなæ•
障を申し込まれる理由はないんだ。ç
§ã¡ã‚„んが自分で勝手に二階へやつて來て、遊んでるんだから僕の知つた事ぢやありませんよ。æ•
障を云ふならç
§ã¡ã‚„んに云ひ給へ。」
「いや、女なぞに理窟を云つたつて解るもんぢやないです。それよりか、あなたがç
§å­ã«ä»£ã¤ã¦è¾¯è§£ãªã•ã‚‹ã ã‘の責任がおありでせう。………ないと云ふ筈はございますまい。」
「僕に責任が?」
「はゝ」
と、鈴木はさも憎體《にくてい》に鼻å
ˆã§ã‚しらつた。
「どうせ、そんな事を仰つしやるでせうと思つてå±
ました。しかし私は昨日、ç
§å­ã®ç¥•å¯†ã«ã—てå±
る日記を見て了つたのです。あなたは旣に姦通をしていらつしやるぢやありませんか。」
かう云つて、せゝら笑つてå±
る。笑ふ拍子に厚い唇の奧で、亂杭齒《らんぐひば》が刃物《はもの》のやうにピカリとå
‰ã¤ãŸã€‚
「おい君、ちつと氣を附けて物を云ひ給へ。………」
何とか後を誤魔化さうとしたが、モウ到底隱し切れないやうになつたので、
「姦通と云ふのはをかしいぢやないか。よしんば僕とç
§ã¡ã‚„んと關係があつたとしたところで、姦通よばゝりをする法はないだらう。」
「關係があつたところで、ですか、………さう曖昧に仰つしやらずと、實際關係があつたと仰つしやつたら如何です。」
「そりや、關係はあつたさ。」
今迄の言動とは甚だしく矛盾した事を、彼は苦もなく是認して、冷然と云ひ放つた。言下に鈴木の懷から匕首《あひくち》が閃くのかと思つたら、そんな形勢はない。それでも佐伯は、もう半分ばかり命がなくなつたやうな心地になつてå±
る。
「そら御覽なさい。」
鈴木は、討論會で相手を凹《へこ》ませた時のやうに、得ã€
然《とく〳〵ぜん》として、
「關係がある以上は、姦通でございませう。―――いつぞやお話しました通り、私とç
§å­ã¨ã¯è¨±å«ã€Šã„ひなづけ》になつてå±
るんですから。」
「君はå
¶ã®ç©ã‚Šã‹ã‚‚知れないが、ç
§å­ã¡ã‚„んの方ぢや、約束をした覺えがないと云つてるぜ。自分で獨り極めにして、姦通呼ばゝりするなんて非常識極まる。―――きみはそんな理窟が、世間に通ると思つてるのか。」
「ç
§å­ãŒä½•ã¨äº‘つたつて、彼奴の云ふ事なんぞ、信用は出來ませんよ。―――ç
§å­ã®çˆ¶ãŒã¡ã‚„あん[#「ちやあん」に傍点]と、å
¶ã®ã‚„うに約束したんです。親の意志に從つて、娘に結婚を强ひるのが非常識ですか知らん。」
「だからさ、だからさ、そんな苦æƒ
は僕の知つた事ぢやないんだから、ç
§å­ã®æ–¹ã¸æŒã¤ã¦è¡Œã¤ãŸã‚‰ã©ã†ã ã€‚ç
§å­ã§è§£ã‚‰ãªã‘れば母親もå±
るぜ。」
かう罵つてå±
るうちに癇癪玉が破裂して、佐伯の顏は見る見る眞赤にå

血した。もうかうなつたら、何でも彼でも怒鳴り續ける積りで、口の中に劍突《けんつく》の彈丸を頰張りながら、相手の一言一句をå¾
ち構へて狙つてゐる。
「いや、今日になつて母親の意見を聞くå¿
要もないです。母親やç
§å­ãŒãŸã¨ã¸ä½•ã¨äº‘つたところで、一度約束した以上は、私はå
¶ã‚Œã‚’認めてå±
るんです。許嫁と云ふ事は立派な旣成の事實なんですから、私は唯、あなたの姦通の罪を責めればいゝのです。―――此の事件に就いて、あなたはどう云ふ處置をお取り下さるか。………」
「君、面倒だから、いつそ二人で決鬪しようか。ねえ、それが一番きまりが着いていゝ。」
突然、佐伯はこんな事を云つた。さうして、さもさも勇氣|凜ã€
《りん〳〵》たる調子で、キツと相手を睨み付けたが、いつの間にか極度の憤激と恐怖とが、氣狂ひじみた瞳の中に漲り渡つてå±
た。
「ま、さう仰つしやらずとも、隱かに解決する方法がございませう。………」
意外にも、鈴木は少し面喰らつて、殊更柔和な顏を拵へながら、
「お互ひに高等敎育を受けた人間ですから、そんな野蠻な行爲はしたくないです。私はあなたが謝罪の誠意さへ示して下されば、それで滿足しちまふんですよ。なあにあなた、決鬪だの何だのとそんな馬鹿らしい眞似をするには及ぶもんですか。」
「僕は君に對して、何の罪も犯してå±
ないんだから、謝罪なんか出來ないぜ。―――決鬪しようよ君、å
¶ã‚ŒãŒä¸€ç•ªã„ゝつてば。」
「ふん、まださう云ふ事を仰つしやる。―――立派に姦通をしていらつしやりながら、謝罪が出來ないと云ふのは可笑しいですな。」
「君は馬鹿だな、よつぽどひどい馬鹿だな。かりにç
§å­ãŒè¨±å«ã ã¤ãŸã¤ã¦ã€ç¾åœ¨åŒæ£²ã—てå±
ないものを、何處が姦通なんだ。」
佐伯は咆えるやうにガミガミと此れだけ喋舌《しやべ》つたが、中途で舌が跌《つまづ》いて、とてもすらすら口が利《き》かれない。手足が顫へつく程è
¹ãŒç«‹ã¤ã¦ã€ç—©ã›ãŸé«”へå
¥ã€Šã¯ã²ã€‹ã‚Šåˆ‡ã‚Œãªã„くらゐ怒《いかり》がå

滿した。あまり激しく罵つたせゐ[#「せゐ」に傍点]か、呼吸が忙《せは》しなく彈《はず》んで、唇が瀕死《ひんし》のç—
人の如く靑褪めてå±
る。肩から頸のまはりの動脈をづきんづきんと響かせて、多量の血が頭へ上がつて行く。此の二三日、ç
§å­ã«æŽ¥è¿‘して以來、神經が夥しく衰弱して、チヨイとした刺戟に遇つてさへピクピク反撥するのに、此の上感æƒ
をç
½ã‚‰ã‚ŒãŸã‚‰ã€å½¼ã¯ä¸€æ“§ã«æ†¤æ­»ã—て了ひさうだ。
「はゝ、女の事では誰でも馬鹿になりますよ。―――私なども、隨分ç
§å­ã«ã¯é¦¬é¹¿ã«ã•ã‚Œã¾ã—たからな………」
かう云つた時、鈴木の愚鈍な容貌は一層暗くなつて、淋しい笑ひと一緖に、悲しげな表æƒ
が泛んだ。
「しかし、あまり馬鹿にし過ぎると、私も默つてå±
ないです。―――そりや成る程、法律上から云へば、姦通ではないでせう。けれども、あなたに良心がおありになるなら、そんな理窟は仰つしやれない筈ですがな。―――ま、明日まで御返事をおå¾
ち申しても宜しうございますから、今夜ゆつくりとお考へなすつて下さい。私の方が正しいか、あなたの方が正しいか、落ち着いてお考へになつたら、そりやキツトお解りになるでせう。………」
出來るだけ相手の話が聞えないやうに、佐伯は心を餘所へ外らして、一生懸命興奮を押し鎭める事に努めた。å
¶ã®æ°å¥½ã¯ã€ä¸åº¦äº”段目の勘平が切è
¹ã—て今にも落ちå
¥ã‚‰ã†ã¨ã™ã‚‹æ–·æœ«é­”《だんまつま》に、片手を急所の傷口にあてながら、息をせいせい[#「せいせい」に傍点]云はせる姿によく似てå±
た。
「å
Žã«è§’、御參考までに申し上げて置きますが、つまり私は此れだけの處置を付けて頂きたいんです。―――å
ˆã¥ç¬¬ä¸€ã«å§¦é€šã®äº‹å¯¦ã‚’認めて、謝罪狀を書いて頂く事。それからですな、謝罪の條件として、將來斷然ç
§å­ã¨æ‰‹ã‚’お切り下さること。………」
と、鈴木は、爪のå
ˆãŒæ‚‰ãçŸ­ãå–°ã²åˆ‡ã‚‰ã‚ŒãŸå³ã®æ‰‹ã®æŒ‡ã‚’折り數へて、
「手をお切り下さる證據に、此處の家を立ち退いて頂く事、………尤も此れは何ですよ、下宿をお尋ねなさる御都合もございませうから、五日以å†
に實行して下されば宜しいのですよ。あなたがç
§å­ã«é‡Žå¿ƒã‚’持つておいでにならなければ、以上の條件を承諾なさるのは、そんなにむづかしい事ではございますまい。どうか一つ、明日《あす》のうちに御挨拶が願ひたいのです。私の方もいろいろ都合がございまして、………」
云ふだけの事を云つたら、好い加減にして引き退つたらよささうだが、殆んど際限なくブツブツと口を動かす。相手がどんなそつけ[#「そつけ」に傍点]ない素振を見せようと、耳があつたら聞えるだらうと云はんばかり、石に向つて念佛を唱へるやうなæ
‹åº¦ã«å‡ºã¦å±
る。―――
「………お互ひにつまらぬ女の事なぞで、爭論したかないですよ。此れを御緣に御交際を願つて、又何かの時には私のやうな者でも、及ばずながらお力添へにならない事もないでせう。此れが男と女ぢや仕方がありませんけれど、男同士の喧嘩なんですから、濟んで了へば却つてサツパリして好い心持ちです。はゝ。」
佐伯は頭から蒲團を被《かぶ》つて、寢た振りをして了つたが、いつまで立つても愚劣な獨語《ひとりごと》が止みさうもない。折ã€
ぽつりぽつりと途切れるから、今度は下へ行くかと思ふと、又續きが始まる。そのうちに、佐伯はふと、或る身の毛のよだつやうな物凄い事を考へ出した。鈴木がかうやつて、大人しく喋舌つてå±
るのは、å
¶ã®å¯¦ï½œå¼µã€Šã¯ã€‹ã¡åˆ‡ã‚Œã•ã†ãªç™‡ç™ªã‚’堪《こら》へつゝ、此方《こつち》の樣子を窺つてå±
るのかも知れない。此方の仕業《しわざ》があまり冷淡なのに、いつ何時《なんどき》癇癪玉を破裂させて、
「やい、もう堪忍ならねえぞ!」
と、云ふより早く懷の匕首を拔き放ち、夜å
·ã®ä¸Šã‹ã‚‰ã‚ºãƒãƒªã¨ã‚„られるかも知れない。伊勢音頭の貢《みつぎ》が萬野を殺すやうに散ã€
無禮をさせ、增長をさせた揚句、いきなり不意討ちを喰はせないとも限らぬ。
さうだとすれば、蒲團を被つて知らん顏をしてå±
るのは、危險千萬である。敵の動作がまるきり見えないから、いざと云ふ場合に逃げる事は愚か、聲一つ立てる譯に行かない。それでも、何か知ら敵の喋舌つてå±
る間は安心だが、言葉の途切れた時が、氣懸《きがゝ》りである。å
¶ã®éš™ã«ãã¤ã¨ï¼»ï¼ƒã€Œãã¤ã¨ã€ã«å‚ç‚¹ï¼½çŸ­åˆ€ã®éž˜ã‚’拂ふとか、蒲團の方へにじり[#「にじり」に傍点]寄るとか、いかなる用意をしてå±
ないとも限らない。………
ちりん、と階下の格子を開ける音がして、叔母とç
§å­ãŒæ­¸ã¤ã¦ä¾†ãŸã€‚
「おゝ寒かつた、おツ母さんあたし風を引いちやつたわ。―――さつきの駱駝の襟卷を買つてくれないからよ。」
などゝ云ふç
§å­ã®ç„¡é æ
®ãªè²ãŒäºŒéšŽã¸ï©©ãã¨ã€ä½ä¼¯ã®ã¿ãžãŠã¡ï¼»ï¼ƒã€Œã¿ãžãŠã¡ã€ã«å‚ç‚¹ï¼½ã®é‚Šã«ã“びり着いてå±
た不安の塊《かたまり》は、だんだん弛んで、溶けて了つた。同時に鈴木は、
「や、どうもお邪魔致しました。」
と、やをら身を起したが、
「また彼奴等に知れると面倒ですから、萬事あなたのお考へから出たやうにして、å
ˆç¨‹ç”³ã—上げた通りの御處置を願ひたいんです。―――明日一杯おå¾
ち申しますから、ç
§å­ãªã©ã«å¾¡ç›¸è«‡ãªã•ã‚‰ã‚“で、祕密に御囘答をなすつて頂きたい。」
こんな事を云つて成る可く惶《あわ》てたæ
‹ã€Šã–ま》を見せないやうに、悠ã€
と引き拂つて行つた。すると、
「ç
§ã¡ã‚„ん、まあ着物だけでも着換へてからにおしなね。」
かう云ふ叔母の言葉が遠くに聞えて、
「いゝえ、ちよいといま直ぐ下りるわ。」
と云ひながら、ç
§å­ãŒå
¥ã‚Œé•ã²ã«æ¢¯å­æ®µã‚’上がつて來た。さうして、男の傍へどたん[#「どたん」に傍点]と据わつて、
「鈴木が何しにやつて來たの。」
と、消えかゝつた火鉢の炭をいぢり始めた。
何でも、大分夜が更けたのだらう。電燈のあかりが一時ぼんやり暗くなつて、再びパツと明るくç
§ã¤ãŸã€‚ばらばらばらと桐の葉に、思ひ出したやうな雨の雫があたるけれど、格別の降りではないらしい。
「ねえå
„さん。………何しに來たの。」
かう催促されたが、佐伯はやつぱり蒲團の中へ首を埋めて、微塵《みぢん》も動かないでå±
る。長く伸びた、蓬《よもぎ》のやうな髮の毛ばかりが、夜å
·ã®ç·£ã€Šãµã¡ã€‹ã‹ã‚‰å°‘し出てå±
る。
「お前、何處へ行つてたんだ。」
暫く立つと、彼は寢言のやうな調子で云つて、たつた今眼が覺めたやうに、眼瞼をぱちぱちやらせながら、途方もない橫ツちよ[#「ツちよ」に傍点]の方から顏を露はした。
「何處へ行つたつて、そんな事は構はないわ。―――それよりか、鈴木が何で此處へ來たのよ。あたしに云ふなツて威嚇《おど》かされたんでせう。」
「馬鹿を云へ。」
佐伯は出來るだけ瞳を額の方へ吊り上げ、殆んど窪んだ眼球が眉毛へ着くくらゐにして、仰向きに女の膝頭からè
¹ã€èƒ¸ã€è¥Ÿã®ã‚たりをつく〴〵と眺めた。凡そ此の女の血色程、每日のやうに變化するものはあるまい。今日はおもての寒氣に觸れたせゐか頰ツぺた[#「ツぺた」に傍点]と鼻のå
ˆã«èµ¤å‘³ã‚’帶び、肌が瀨戶物の如く冷めたさうにピカピカå
‰ã¤ã¦ã€é¡ã®æ„Ÿã˜ãŒå
¨ãç•°ã¤ã¦å±
る。
「ç
§ã¡ã‚„ん、お前鈴木と何か關係した事があるのかい。」
いつか一度は尋ねよう尋ねようと企らんでå±
た質問を、彼は此の機會に乘じて提出した。
「つまらない事を訊《き》くのね。あるかないか、考へて見たら解るでせう。」
怫然《ふつぜん》として色を作《な》す模樣もなく、平氣でこんな答へをするだけ、女の云ふ事が噓だか本當だか、ちよいと佐伯には判らなかつた。尤もç
§å­ã¯ã©ã‚“な場合にも、高聲で笑つたり喚いたりしない人間である。多分感æƒ
の動搖を有りのまゝに發表する事が、女の威嚴を損ずるとでも思つてå±
るのだらう。
「だつて鈴木は、立派に關係があると云つたぜ。」
「誰があんな奴と………」
「あんな奴でも、昔は秀才だつたさうだから、何ともわからないな。」
「解らなければ解らなくつてもいゝわ。そんなに辯解したかなくつてよ。―――若し關係があつたとしたら、それがどうなの。」
「己逹のした事は姦通だの何だのツて、あんまり彼奴の鼻息がえらいからさ。」
「それぢやå
„さんは、すつかり鈴木に白狀しちやつたの。」
「うん、お前の日記をå†
證で見たんださうだ。もう隱したつて仕樣がないよ。」
佐伯は「どうでもなれ」と云ふ心になつて、投げ出すやうな物æ
µã€Šã‚‚のう》い言葉遣ひをした。
「そりや鈴木が鎌を掛けたんだわ。あたしå†
證にも何にも日記なんか書きはしませんもの。―――å
„さんは欺されたのよ。」
「馬鹿の癖に、いやに小刀細工をする奴だな。………」
かう嘲つては見たものゝ、ウマウマ一杯喰はされたかと思ふと、彼はいよ〳〵鈴木が憎らしくつて、業が煮えて堪らない。………いまいましさにè
¹ã®èŸ²ãŒãƒ ãƒ
ムãƒ
して、あたりの物を、手あたり次第に打ツつけてやりたくなつた。
「………知れたら知れたで構はないぢやないか。どうせ判るにきまつてå±
るんだ。」
「å
„さんも隨分人が好いのね。自然と知れたのなら好いけれど鎌を掛けられて白狀するなんて、まるでお話しにならないわ。欺《だま》されたり威嚇《おど》かされたりして、いい加減馬鹿にされたんぢやあなくつて。―――ほんたうに仕樣がないわね。」
かう云つて、ç
§å­ã¯è¥Ÿã«ã‹ã‘たヹールを外して、ふわツと男の夜å
·ã®ä¸Šã¸æ”¾ã‚Šå‡ºã™ã¨ã€ä»Šåº¦ã¯å¤§å„€ã‚‰ã—く橫倒しに寢ころび、佐伯の頭の方へ自分の顏を持つて行つて頰杖をついた。長い體が恰も蒲團と丁字形に、男の枕許を弓なりにåŒ
圍して丘の如く蔽うてå±
る。戶外より少しは暖かい室å†
の空氣にぬくめられて、血色はいつの間にか眞つ白に生き生きとして來た。
「鎌を掛けても掛けないでも、あんな奴には、どんどん本當の事を云つちまふ方がいゝんだ。なまじつか[#「なまじつか」に傍点]細工をするだけ、此方の、沽券《こけん》が下がるやうな氣がする。」
佐伯はå
©æ‰‹ã‚’頭の下に敷いて、天井を睨みながら、さも齒牙《しが》にかけるに足らんと云ふやうに空嘯いたが、やつぱりいまいましさが胸の何處かに殘つてå±
て、どうも溜飮《りういん》が下がらなかつた。
「それで鈴木は、姦通したからどうしろツて?」
「己に謝罪狀を書いて、此の家を出てくれツて云ふから、頭からドヤしつけて追つ拂つたんだ。―――あの馬鹿野郞!」
鈴木に威嚇《おど》かされたのでない事を女に頷かせる爲め、殊更强さうな文句を並べて見る。
「若しかすると、å
„さんは鈴木に殺されてよ。………」
半分は冷やかすやうに、半分は心é
ã™ã‚‹ã‚„うに云つて、ç
§å­ã¯å”‡ã«ã‚€ã¥ç—’さうな笑を泛べたが、それは仰向いてå±
る男の眼へはå
¥ã‚‰ãªã‹ã¤ãŸã€‚
「殺すなら、殺すがいゝ、彼奴は始めツから己を目の敵にして狙つてるんだから、關係しようと、しなからうと、どうせかうなるにきまつてゐるんだ。」
「ふゝ、大丈夫よ。」
橫倒しのまゝ、è
°ã®éª¨ã‚’使つて、疊の上を游ぎながら、女は自分の顏が男のå†
ぶところへå
¥ã‚‹ãã‚‰ã‚æ“¦ã‚Šå¯„つた。二人の體は丁度|二《ふた》つ巴《どもゑ》のやうに首を中心として、右と左に弧を畫いてå±
る。
「恐がらなくつてもいゝぢやありませんか。彼奴は人を殺せるやうな、そんなテキパキした人間ぢやないんですもの。あたしなんか、散ã€
馬鹿にし拔いてやるけれど、怒つた顏一つしやしないわ。ほんとに大丈夫よ。さつきのは冗談に威嚇かして見たの、ほんとに安心よ。だから此れからいくらだつて………」
話の間に佐伯はぐるりと首を相手の方へ曲げて面《めん》と向かつた。男の前に頰杖を突張《つツぱ》つてå±
るç
§å­ã®é¡ã¯ã€æŸ”かい大福é¤
を押しつけたやうに、皺が寄つたりたるん[#「たるん」に傍点]だりして、分厚《ぶあつ》な唇や、眼瞼や、鼻柱や、頤の肉や、方ã€
の皮膚がいろ〳〵に弄ばれ、殘é
·ãªæ­ªã¿ãªã‚Šã®å¬Œæ
‹ã‚’呈して、媚びるが如く躍つてå±
る。肉が何かの歡喜にå

たされて、踊りををどつてå±
るやうである。
「殺されない、殺されないと思つてå±
ると大違ひだ。己逹は殺されるより外、別に方法がないやうにばかりし向けてるぢやないか。彼奴はお前を殺さなくつても、己を殺すにきまつてå±
る。―――恐《こは》い恐くないは別として、己は唯豫言をして置くんだ。」
「そんな豫言は神經衰弱の結果だわ。」
「神經が衰弱すると、却つて或る方面には銳敏に働くから、普通の人間の判らない事まで感じるんだよ。」
「鈴木に殺されるくらゐなら、あたしに殺された方がよかなくつて?」
かう云つて女は、頰にあてがつた肘を外して、十本の左右の指を組み合はせて、掌《てのひら》を外側にしてå
©æ‰‹ã‚’棒のやうにグツと男の方に伸ばした。丁度二つの掌の、網代《あじろ》に組み合はされた部分が、さながら蟹のè
¹ã®ã‚„うに思はれた。

あくる日の朝、鈴木はいつものやうに庭を掃除すると、åŒ
みをかゝへて、神田の私立大學へ出かけて行つたが、夕方になつても歸つて來なかつた。三時半に電燈がついて、四時半ごろからそろ〳〵暗くなつて、追ひ追ひ風呂を沸かす刻限の近づくに隨ひ、佐伯とç
§å­ã¯ä½•ã¨ãªãå
¶ã‚ŒãŒæ°£ãŒã‚ã‚Šã«ãªã‚Šå‡ºã—た。
「鈴木はどうしたんだらうね。大變歸りが遲いやうぢやないか。」
晚飯が出來上がりかけた時、とうとう叔母がこんな不審を打ち始めた。しかし、飯が濟んで臺所が片附いて了つても、鈴木はなかなか戾つて來ない。
「ほんたうにどうしたんだらう。をかしいぢやないか。―――雪や、お前御苦勞だが、鈴木がå±
ないから、湯殿を焚きつけておくれ。」
叔母の不審は夜の更けるとå
±ã«æ¬¡ç¬¬ã«å¼ºããªã¤ã¦ã€å£å±è¨€ãŒã ã‚“だん激しくなる。
「ま、もうå
«æ™‚だよ。冗談ぢやないどうしたつてんだらう。」―――最初は叱言のやうに口を尖らして、ブツブツやかましく呟いてå±
たのが、やがて泣き出すやうな、恐怖に襲はれたやうな調子と變じ、
「雪や、鈴木は今朝何時ごろに出て行つたのだい。」
風呂から上がつて來て、柱時計を眺めながら、かう尋ねた時の叔母の顏つき[#「つき」に傍点]と云つたら、まるでべそ[#「べそ」に傍点]をかいてå±
た。
「左樣でございますね。たしか七時半ごろでございましたらうよ。å
ˆã€Šã›ã‚“》の時分は、いつでもおかみさんの御寢間の廊下へ手をついて、『行つて參ります。』つて聲をかけたのに、此の頃は掃除をすますと、默つて出て行くんでございますよ。そりや、をかしいやうにムツツリしてå±
りますの。」
お雪は人の心é
ãªã‚“ぞ少しも氣に留めないで、至極無邪氣に、こんな事を訴へる。
「今朝は別段、いつもと變つたやうな樣子はなかつたかい。」
「さあ、………尤も此の二三日は大分不機嫌で、あたしと喧嘩ばかりしてå±
りましたつけ。」
「å†
ã€
《ない〳〵》で荷物でも運んでå±
るらしい風は、見えなかつたか知ら。」
「いゝえ、そんな樣子は………」
皆まで云はせず、叔母はもどかしさうにつかつか[#「つかつか」に傍点]と玄關橫の書生部屋へ駈け込み、戶棚から押しå
¥ã‚Œã‹ã‚‰ã€æœ¬ç®±ã®è“‹ã¾ã§é–‹ã€Šã‚》けツぴろげて、血走つた瞳を据ゑつけて一ã€
中を檢べて見たが、
「をかしいねえ、………着物もそつくり[#「そつくり」に傍点]してå±
るし………」
と、云つたまゝ、呆然と彳んで了つた。
「さう云へば此處に、法律の本らしいものが、五å
­å†Œç«‹ã¦ã‚ã”ざいましたのに、å
¶ã‚ŒãŒè¦‹ãˆãªã„やうでございますよ。」
アツケに取られたお雪は、叔母のうしろから附いて來て、暫くぽかん[#「ぽかん」に傍点]とした後、やうやう氣が付いたのか、かう云つて剝げかゝつた一閑張《いつかんばり》の机の上を指差した。
此の騷動の最中、ç
§å­ã¯äºŒéšŽã¸ä¸Šã¤ãŸãã‚Šå§¿ã‚’見せなかつた。實は叔母も、とうからç
§å­ã«ç›¸è«‡ã—て、憂ひをå
±ã«ã—たかつたのだが、鈴木の事を云ふと、「あんな奴に何が出來るもんですか。」とか、「恐がればいゝ氣になつて增長するばかりです。」とか、てんで[#「てんで」に傍点]馬鹿にし切つて相手にならないので、遠æ
®ã—てå±
るのであつた。けれどもかうなると、叔母も到底一了見で疊んで置く譯に行かないから、冷やかされると知りつゝ、
「ç
§ã¡ã‚„ん、ç
§ã¡ã‚„ん。」
と、今にも大變事が起りさうな惶てかたをして、けたたましく梯子段を駈け上つた。
「お前、鈴木がいまだに歸つて來ないんだよ。」
「そんなら屹度、å†
を逃げ出したんでせう。」
男の枕許の火鉢にあたりながら、ç
§å­ã¯é›œä½œã‚‚なく斷言して、母の方を振り向いても見ない。
「さうかねえ。………また例の癖が始まつたんぢやないか知らん。お前何か、鈴木を怒らせるやうな事でもしたのかい。」
女房が亭主に寄り添ふ如く、母は娘の傍へべつたり据わつて、救ひを求むるやうに膝をつけた。するとお雪が、
「おかみさん、おかみさん………」
と、階下から喉笛《のどぶえ》の吹き裂けさうな、甲走《かんばし》つた聲をあげて、
「硯箱の中に、何だか置き手紙がå
¥ã‚Œã¦ã”ざいますよ。」
「さうかい。ちよいと二階へ持つて來ておくれ。」
續いて、再びばた〳〵と梯子段を駈け昇る音がして、お雪が爆裂彈でも運ぶやうに、氣味わる〳〵赤い封筒の書面を持つて來る。
「いゝから、お前は下へ行つておいで。」
受け取ると等しく、叔母は、狀袋の頭を引きちぎりながら、お雪を追ひ返して、勸進帳を讀むやうに、手紙をå
©æ‰‹ã§èƒ¸ã®ã‚たりに支へ持つた。
斷《ことわ》つて置くが、狀袋の表には、「御主人樣」とでもあるべき處を、わざわざ「林ä¹
子殿」と叔母の本名を麗ã€
《れい〳〵》しく楷書で認《したゝ》めてある。本文の方は半紙二枚へ、大小不揃ひの拙劣な文字が、穗の擦り切れた筆で、而も墨|黑ã€
《くろ〴〵》と走り書きしてある。
讀んで行くうちに、叔母の眼つきは胡散らしくå
‰ã¤ã¦ã€è‡ªç„¶ã¨çœ‰ã‚’顰め唇を結び憎らしさうな恐ろしさうな、いろいろな表æƒ
を湛へたが、最後まで讀み終ると、å
¨ãé¡ãŒåœŸæ°£è‰²ã€Šã¤ã¡ã‘いろ》になつて、
「まあ、お前さん逹此れを見て御覽。」
と、二人の前へ投げ出した。人相見《にんさうみ》の所謂「死相」とは、蓋し此の時の叔母の容貌などを云ふのだらう。まるで魂飛《こんと》び神失《しつしん》して、ろくろく舌の根も動かせないらしい。
果して、どんな凄い文句が列べてあるのか知らん。―――佐伯は眩暈を堪《こら》へつゝ深い谷底を瞰下《みお》ろすやうに、蒲團から乘り出して、手紙の方へ上體を匍匐《ほふく》させた。
もう讀まないå
ˆã‹ã‚‰ä¾‹ã®å‹•æ‚¸ãŒã€å¿ƒè‡“を破れんばかりに叩いてå±
る。ç
§å­ã¯ç«é‰¢ã®ç·£ã¸é ¤ã‚’載せて、對角線の方面から、斜めに覗き込んでå±
る。
[#ここから1字下げ]
予は今夜を限りとして、二度と再び此の家に戾らぬ決心ナリ、最早や此の家の飯を喰ふも家族の顔を見るも不愉快となりたり、å
¶ã®ç†ç”±åŽŸå› ãƒã€å„自の胸にきいて見れば直《たゞち》に了解する筈なれど、就中《なかんづく》ç
§å­ã¨ä½ä¼¯ã¨ã¯ã€å¿
ず思ひあたる節アラン。しかし、今一應此處に宣言すべければ、よく熟æ
®åçœã—て過《あやまち》を改めよ。然らば或は、予もå
¶ã®ç½ªã‚’赦してやる可し。
予ハ第一にç
§å­ã®æ¯ãŸã‚‹ä¹
子の罪を鳴らさゞる可からず。汝は夫敏造氏の死後果してよく未亡人たるの勤めを完うセシヤ。敏造氏生前の遺訓に背《そむ》き、夫が唯一の忘れ紀念《がたみ》なる娘の敎育法を誤解して、ç
§å­ã‚’して今日の如く墮落せしめたるは汝の罪にあらずして何ぞや。敏造氏の生前に比べて林家の家風の頽廢せる事殆んど言語に絕エタリ、予の如きは之を憂へて幾度か忠吿したるも、汝は更に耳を傾けず、却つて予をうるさがり、甚しきは予を嘲笑して毫《がう》も反省する所アラズ。實に家名を傾くるものと云ふべし。
殊に敏造氏が娘ç
§å­ã‚’予に娶《めあ》ハセンとの遺志ありし事は明白なるに不拘《かゝはらず》、今に至つて言を左右に託し、å
¶ã®å©šç´„を破棄せんとするのみか、嘗て婚約したりし事さへも頻りに打ち消さんとするは、亡夫を欺き予を欺くの罪極めて大なり。地下の敏造氏若し靈あらば、å¿
ズヤ泣かん。
アヽ予は汝等母子の爲めに實に半生を誤られたり矣。サレド記憶せよ、予ハ汝等に對して復讐せずんば已《や》マズ。予が敏造氏ヨリ受ケタル恩惠ヤ甚大なりと雖も汝等は予の敵ナルと同時に敏造氏の敵なるを以て、毫も假借《かしやく》スル理由ナシ。而も、事|茲《こゝ》に至る迄、予ハ幾囘カ敏造氏の知遇を思ひ、汝等の墮落を憐みて、忍び得るだけは忍びたるなるをや。
終りニ臨みて、尙佐伯に一言せん。もはや此の場合となりては最後の手段を下すに一刻の猶豫もなり難けれど、汝にして直ちに悔い改め、予が昨夜提出シタル條件を卽時實行して、林の家を立ちのかば、或は許容の道ナキニ非ズ、予ハたとへ家にあらずとも、汝等の行動ハ常に怠リナク監視しつゝあり。若し飽く迄も予に反抗するならば、それだけの用心が肝要なり。少くとも闇夜に外出する時は注意すべし。
[#ここで字下げ終わり]
これで手紙は終つてå±
る。è„
迫狀を投げ込まれたら、嘸かし恐ろしいだらうと想像してå±
たのが、實際にぶつかると案外恐ろしいものではない。多少薄氣味惡いだけの話である。
「はゝ、とうとう奴さん癇癪玉を破裂させましたね。」
かう云つて、佐伯は叔母の方を向いた。ところが、手紙よりも叔母の顏を見てå±
ると、却つて恐ろしさが感じさせられる。
「何を云つたつて、ウツチヤラかして置けば、又直き戾つて來るわ。」
ç
§å­ã¯ã‚¹ãƒ„カリ手紙を讀んだ癖に、ろくろく眼を通さないやうな風をして云つた。
「ほんとに戾つて來るか知ら、あたしや今度はどうかと思ふよ………」
叔母は胴ぶるひをしながら、及びè
°ã«ãªã¤ã¦ç«é‰¢ã¸æŽ´ã¾ã‚Šã€å†ã³ç–Šã®ä¸Šã®æ›¸é¢ã‚’視詰めてå±
る。
「………å†
にå±
ればå±
るで、始終ブツブツ云つてるし、逃げ出せば逃げ出すで心é
ã ã—、あたしや彼奴にはもうもう困り切つちまふよ。それでもまあå†
にå±
る間は斬るの突くのツて心é
ãŒãªã„からいゝが、外へ出た日にや、何を企《たく》らんでるか判りやしないもの、ヒヨツトしたら今夜あたりだつて、å†
の廻りをうろついてå±
るかも知れない。」
三人は暫く默つて、聞くともなしに戶外の物音に耳を澄ました。晝間でもあまり人通りの繁からぬ往來の夜は眞つ暗で、板塀にぴツたり體を着けてå±
たら、二三尺離れるとなかなか見付かりさうもない。å
¶ã®å¤–路次の芥溜《ごみた》めの蔭でも、裏の庭木戶の片éš
でも、身を隱すには究竟《くつきやう》の場所柄である。………
すると、ぱた、ぱた、と遠くの方から、人の忍び寄るやうな跫音が、三人の耳へ響き始めた。草履《ざうり》穿きか乃至は跣足《はだし》で極めて靜かに步くものがあるらしい。ぱた、ぱた、ぱた、と、音は一定の間隔を置いて幽《かす》かながらも、次第次第にå†
の前へ近づいて來る。やがてå
¶ã®ç‰©éŸ³ã¯ã€ãƒãƒ„キリと確實に聞き取れるやうになつて、ゴム底の足袋を穿いた車夫が、メリケンの俥を挽いて走つてå±
るのだと判ると同時に、家の前をどんどん素通りして行つて了つた。
「何かい、………近頃になつてお前さん逹は、鈴木にè
¹ã§ã‚‚立たせるやうな事をしたのかい。」
「さうね、」………とç
§å­ã¯ã‚ã–と仔細らしく考へて見て、「あたしなんか、てんで鈴木の方から口を利かない位なんだから、別段怒らせるやうな眞似をした覺えがないわ。」
「しかし、お前この頃二階へ上り詰めぢやないか。―――もうかうなれば、å†
輪同士で隱し立てをしたつて詰まらないから、本當の事を云つておくれよ。謙さんにしてもお前にしても、何か鈴木の氣に觸《さは》るやうな事があつたのぢやないかい。」
「氣に觸るやうな事ツて、どんなこと?」
「どんな事にも、こんな事にも、此の頃のやうに一日二階へ上つたきりぢや、誰だつて變に取らうぢやないか。わたしは親のæ
¾ç›®ã‹ã‚‰ã€ã¾ã•ã‹ãã‚“な不行蹟はあるまいと思ふけれど、鈴木の疑ふのは、そりや尤もだよ。―――だから、お前さん逹から正直なところを聞かして貰ひたいのさ。」
「疑ふ人にはいくらでも疑はせてお置きなさいな。世間が何と云つたつて、おツ母《か》さんさへ、信じてå±
て下されば有難いわ。」
「それ、さう云ふ言ひ草がお前、親を馬鹿にすると云ふものだよ。折角お前の肩を持たうと思つたつて、傍から親を馬鹿にするやうな素振りがあつちや、わたしにè
¹ã‚’立たせるばかりぢやないか。」
かう云つて、叔母は佐伯を振り返つて、半分は賛成を求めるやうな、半分は實否を糾問《きうもん》するやうな口調で、
「ねえ謙さん、ç
§å­ãŒè¬äº‹ã‚れだから、わたしやほんとに手が付けられないんだよ。いくら親の眼が曇つてå±
たつて、お前さん逹が何をしてå±
るかぐらゐ、大凡《おほよそ》見當はついてå±
ますよ。いろ〳〵と若い時分から苦勞した年寄が見れば、とやかう隱し立てをしたところで、直ぐ判るんだからね。今となつて別に叱言を云ふんぢやないから、お前さんから正直な話を聞かして貰ひませう。」
「はあ、僕も大變叔母さんに御心é
ã‚’掛けちまつて、申譯がありませんが、そりや實際のところ、………」
咄嗟の場合、噓を云はうか、本當を云はうか、自分でも十分に決心しかねて、佐伯は夜å
·ã®è¥Ÿã‹ã‚‰é¦–を出したが、ç
§å­ãŒï©ªã‚Šã¨çœ¼ãã°ã›ã‚’するので、忽ち膽玉を太くした。
「………僕等は何の祕密もないんです。å
¨ãç
§ã¡ã‚„んの云ふ通りなんです。」
「ふうん」と、叔母は不服らしく頷いて、よく中年の男がするやうに、小紋縮緬の羽織の袖の中で、片一方の肘を突つ張つた。此の際事實の眞相を捕捉しようとするæ
¾æœ›ã‚ˆã‚Šã‚‚、二人に輕蔑されまいとする努力の方が、叔母の頭を占領してå±
るらしい。
「そりやおツ母さんの方が無理だわ。昔の人は、男と女が仲好くしてさへå±
れば、直ぐと疑をかけるけれど、つまり此の頃の若い人間の氣持が解らないんだわ。年寄と云ふものはé
¸ã„も甘いも嚙み分けた苦勞人になればなる程、變な方へばかり氣を廻すのね。å
„さんだつて、あたしだつて、立派に敎育を受けさせて貰ひながら、いまだに親の監督がなければ間違ひがあると思はれてå±
ちや、ほんとにやり切れないわ。男だらうと、女だらうと、趣味が一致すれば、自然と話が合ふのは當り前ぢやありませんか。誰がそんな嫌らしい事をするもんですか。」
「いゝえね、何も嫌らしい事があつたと云ふんぢやないから………」
今更叔母はアタフタして、眞赤になつて喰つてかゝるç
§å­ã‚’制しながら、
「そんな高い聲を出さずと、もつと隱かに話をしたら判るぢやないか。―――まあ、お前逹に詰まらない疑を掛けたのは、私が惡かつたから堪忍しておくれ、ね。しかし、二人がさう云ふきれい[#「きれい」に傍点]な間柄なら、尙更痛くないè
¹ã‚’捜られるのは嫌だし、馬鹿を相手に喧嘩するのも下らないから、一層素直にå
ˆæ–¹ã®è¨€ã²åˆ†ã‚’立てゝ、お氣の毒だが謙さんにå†
を出て貰つたらどうだらう。」
「そんな事をするに當らないわ。」
ç
§å­ã¯æ€’りに乘じて、一氣に母の提案を揉み消しにかかる。
「おツ母さんがソレだから、彼奴はます〳〵增長するのよ。å
„さんが餘所へ越したつて、私が每日のやうに遊びに行くから、やつぱり同じ事だわ。鈴木の威嚇《おど》かしぐらゐでå
„さんを追ひ出したら、それこそ世間の物笑ひだわ。第一、嫌な噂が、いよ〳〵本物らしく取られちまふぢやありませんか。」
「けれどお前、命には換へられませんよ………」
こはい物が直ぐ眼の前に在るやうな顏をして、とうとう叔母は本音を吐いた。
「謙さんが出てさへ吳れゝば、それで納得すると云ふのだから、强ひてあぶない眞似をするには及ばないぢやないか。」
「それがおツ母さん感違ひをしてå±
るのよ。å
„さんが出れば出るで、今度は私に遊びに行くなとか、許嫁の約束を履行しろとか、一ã€
云ふ事を聽いてå±
た日にや、際限がないわ。」
それから凡そ小一時間も、親子は盛んに云ひ爭つたが、結局埒が明かなかつた。
「å
„さん、おツ母さんが何と云つたつて、遠æ
®ã—なくつていゝ事よ。おツ母さんはいつも泥棒を恐がる癖に、å†
の中に男が一人もå±
なかつたら、却つて無用心で仕樣がないわ。」
ç
§å­ã«ã‹ã†äº‘はれると、佐伯も自ら進んで處決する覺悟にはなれなかつた。自分もç
§å­ã‚‚、こんなに荒んで了ひながら、まだ何處か知らに戀らしい感æƒ
の殘つてå±
るのが、非常に不調和な、理解し難い心理狀æ
‹ã®ã‚„うに思はれた。
「そんならお前逹のいゝやうにおし、私やどうなつたつて知らないから。」
叔母は不平たらたら二階を退却したが、ç
§å­ã®ä¸‹ã‚Šã¦ä¾†ã‚‹ã¾ã§ã¯ãŠé›ªã‚’寢かさず、自分も長火鉢に倚りかゝつてまんぢり[#「まんぢり」に傍点]ともしなかつた。
「ç
§ã¡ã‚„ん、何だか氣懸りになるから、今夜からお前も此の座敷へ寢ておくれな。」
å
ˆåˆ»ã‚れ程口論した事を忘れて、意地も張りもなく、オメオメと嘆願すると、ç
§å­ã¯æ„åœ°ã®æƒ¡ã„笑ひ方をして、
「だつて、あたしの傍に寢てå±
ればおツ母さんも捲き添へを喰ふわ。」
などゝ云つた。
å
¶ã®æ™šã¯æ®Šã«æˆ¶ç· ã‚Šã‚’嚴重にし、便所の電燈をつけ放しにして寢て了つたが、明くる日の晝間になつても、叔母の不安は容易に治まらない。戶外の格子が開く度每に、ギクリとして浮き足になり、襖の蔭からおづおづ玄關を窺つてå±
る。
「雪や、お前使ひに出る時には、よウくå†
の近所を氣を付けておくれ。」
「はい、別段だアれもå±
りませんやうでございますよ。」
こんな問答が、ひそかに交換される。
日が暮れて夕飯が濟むと、宵のうちから雨戶を立て切つて、叔母はつくねんとå±
間に据わつてå±
る。長火鉢には炭火がパチパチ鳴りながら眞赤に燃え上り、鐵瓶の湯が、さも心丈夫に、賴もしさうに沸《たぎ》つてå±
る。
ç
§å­ã¯ç›¸è®Šã‚‰ãšäºŒéšŽã¸è¡Œã¤ã¦ä¸‹ã‚Šã¦ä¾†ãªã„。
「ちよツ。」
と、叔母は舌打ちをして、心の中で「ほんとに彼《あ》の娘《こ》は仕樣がない。人の心é
ã‚‚知らないで、好い氣になつて佐伯にへたばり着いてå±
る。………また佐伯にしたつてさうだ。どのくらゐ私が苦勞をしてå±
るか解つたら、さツさと家を立ち退いて了ふのが當り前ぢやないか。もう一度二階へ行つて、賴んで見ようか知らん。」
バタリ、と、緣側の戶が風を孕んでå†
の方へめりこんだかと思ふと、今度は外の方へ吸ひつけられるやうにぎい[#「ぎい」に傍点]と動く。不意に凩《こがらし》が吹き起つたのらしい。こんな晚に火事でもあつたら………萬一|彼《あ》の馬鹿が附け火でもしたら大變である。
ぼん、ぼん、ぼん………と柱時計がå
«æ™‚を打つ。とたんに叔母は立ち上つて、恨めしさうに二階を仰ぎながら、梯子段を上がりかけると、「おかみさん、ちよいと」と雪が眞靑な顏をして手水場《てうづば》から飛び出して來た。
「あの、氣のせゐか、何だか變でございますよ。ちよいといらしつて下さいまし。」
「變だつて、何が變なの。」
「はゞかり[#「はゞかり」に傍点]の窓の外で、人の跫音が聞えるんでございます。」
「きつと風の音だらう。」
二人は一寸《いつすん》と傍を離れないやうにして便所の奧へ忍び込み、暫く息を凝らして見たが、跫音らしいものは更に聞えない。唯時ã€
、非常にかすかに、人間の呼吸をするのが、すう、すう、と響いて來るやうである。それだつて、果して呼吸の響きかどうか、興奮した神經には判別がつかないが、たしかに本當だとすれば、何物かがこつそりと便所の羽目へ體をつけて、室å†
の樣子を捜つてゐるのだと推定される。
「噓をおつきな、なんにも變なことはないぢやないか。」
「左樣でございましたねえ。さツきはどうもをかしいと存じましたけれど、やつぱり氣のせゐでございましたよ。」
互ひにæ
°ã‚ã‚‹ãŒå¦‚く、囁いて、座敷へ戾らうとしたが、大便所と小便所との境の所まで來ると、忽ち二人は凍り着いたやうにぴたり[#「ぴたり」に傍点]と立ち止まり、默つて顏を見合せて了つた。恰度彼等の囁きが終るか終らないうちに、「えへん」と云ふ咳拂ひが外に聞えたのである。何か人間以外にあんな聲を出すものがあるか知らん………
二三分の後、叔母は齒の根と膝頭をワクワクさせて、二階へ這ひ上つた。
「いゝえ、あたしもさう思つたんだけれど、風の音ぢやないらしいんだよ。どうしよう謙さん、お前さん一ツ走り交番まで行つて來てくれないか。」
「よく確かめても見ないで、交番へ駈けつけるなんて馬鹿氣てるわ。よしんば本當だつて、泥棒なら嫌だけれど、鈴木だつたら構はないから放つてお置きなさいよ。」
「まあ、下へ行つてよく檢べて見ませう。」
かう云つた佐伯は、多少眼の色をå
‰ã‚‰ã›ã¦å±
たが、å
Žã«è§’勇氣凛ã€
たるものであつた。大方ç
§å­ã«è‡€ã‚’押されて、否應なしに奮發したのだらう。「人殺し」―――言葉だけでも物凄いのに、不思議な事には、自分ながらをかしい程落ち着き拂つて二人のå
ˆã¸ç«‹ã¡ãªãŒã‚‰ã€ä¾¿æ‰€ã¸ä¸‹ã‚ŠãŸã€‚
「どうも、僕にはそんな音が聞えませんな。一つ緣側の戶を外して、庭へ出て見ませう。」
「謙さん何をお云ひだい。戶なんぞ開けたら、尙あぶないぢやないか。―――わたしは戶外《おもて》へ逃げて行くよ。」
「なあに、大丈夫です。」
高い橋の欄干から身投げをするやうな、ひやツとした心地を壓へ付けて、戶袋に近い雨戶を一二枚繰り開ける。と、眞つ暗な庭から、素晴らしい勢で寒風がひゆうツと舞ひ込んだ。
ç
§å­ã¯é›»ç‡ˆã®ç¶±ã‚’延ばして、佐伯の後から庭の木の間の彼方此方へå
‰ç·šã‚’振り向け始めた。最初に左の塀のéš
の、桐の木の周圍がまざまざと明るみへ浮んで、春日燈籠の靑苔まで、鮮やかにç
§ã•ã‚Œã‚‹ã€‚同時に佐伯の總身を襟å
ƒã‹ã‚‰çˆªå
ˆã¸ã‹ã‘て、薄荷《はくか》のやうなものが一遍スウツと流れて通つた。自分ではまだ落ち着いてå±
る積りなのに、知らず識らず動悸が裏切りをしてå±
る。
左の端から右へ右へと、電燈は隈なく植込みの隙を發《あば》いて、次第に便所の方へ肉薄した。夕方、二階の窓から棄てた敷島の吸ひ殻が、飛び石の御影《みかげ》の上に落ちてå±
る所まで、佐伯の眼にありあり映つてå±
る。
「ç
§ã¡ã‚„ん、もつとあかり[#「あかり」に傍点]を前へ出して御覽。」
かう云つて、彼は庭下駄を穿いて、便所の蔭へ步いて行つたが、中途で蜘蛛の巢に襟を掠められた。
見ると鈴木は、じめじめした掃除口の闇にうづくまつて、羽目へペツたり背中を押しつけ、雨蛙のやうにどんよりと、眠るが如く控へてå±
る。此の場になつて、別段逃げようとも、飛びかゝらうともしない。
「君はこんな所へ何しに來たんだ。………」
と、佐伯が威丈高に立ちはだかつた所は、巡査が乞食を取り調べるå
‰æ™¯ã«ã‚ˆãä¼¼ã¦å±
る。
「………さつさと出て行き給へ。」
ぱさ、ぱさ、とå
«ã¤æ‰‹ã®è‘‰ãŒä½•è™•ã‹ã§é³´ã¤ã¦å±
る。餘程地面が濕氣てå±
ると見え、庭下駄が赤土へ粘り着いて、いざと云ふ時に佐伯は素早く退《の》けさうもない。
「いや、」
と云つた鈴木の聲は、心に重いこだはり[#「こだはり」に傍点]があるらしく皺嗄れてå±
た。唇の動くのがå
¨ãåˆ†ã‚‰ãªã„で、唯黑い影が物を云ふやうである。
「出て行かうと行くまいと、私の勝手だ。君が干涉せんでもいゝでせう。」
「馬鹿を云ひ給へ。人の家《うち》へå
¥ã€Šã¯ã²ã€‹ã‚Šè¾¼ã‚“で、自分の勝手だと云ふ奴があるか。用があるなら、表から尋ねて來給へ。一體何だつてそんな所にしやがんで[#「しやがんで」に傍点]å±
るんだ。」
「何でもいゝぢやありませんか、私には私の考があるんですから。」
事に依つたら、此の男は氣が違つたのぢやあるまいか。自分よりå
ˆã«ã€æ­¤ã®ç”·ãŒç™¼ç‹‚したとすれば痛快である。大いにいたはつて、親切にしてやらうかな―――こんな事を佐伯はちらりと考へた。しかし、發狂したのなら、尙更刃物を振り廻しかねない筈だが、相變らずムツツリして、ジツと蹲踞《うづくま》つてå±
る。
「下らない事を云つてå±
ないで、さツさと出給へ、出給へ。」
いきなり彼は鈴木の襟首を掴んで引つ張つた。
「そんなになさらんでも、お邪魔なら出ますよ。………」
鈴木は少しも抵抗せずに、素直に起き上つて、
「出てもよござんすが、實は鼻緖を切つちやつたんです。ちよいと、å
¶è™•ã¸è
°ã‚’かけさせてくれませんか。」
かう云つて、跛《びつこ》を曳き曳き、緣側の方へ步いて行つた。
戶袋の傍にはまだç
§å­ãŒé›»ç‡ˆã‚’持つて立つてå±
た。
「鼻緖を直すなら早くし給へ。」
こんな叱言を浴せられつゝ、鈴木はぢろりとç
§å­ã‚’睨んで、廊下へè
°ã‚’下ろし、レザーの鼻緖のついた、ぴたんこな山桐の下駄を、片一方の足から外した。此處にå±
た時分には持つてå±
なかつた古い茶色の二重廻しを、何處から工面して來たのかぼてぼて[#「ぼてぼて」に傍点]と着込んで、鳥打帽を眼深《まぶか》に冠り、頻りと前壺《まへつぼ》を鹽梅してå±
る。
「あゝあ、私は不仕合はせな人間ですな。惚れた女は取られるし、………」
不意と嘆息を洩らしてç
§å­ã«ã‚てつけて見たが、一向手ごたへがないらしいので、
「ねえ、ç
§ã¡ã‚„ん。」
と、今度は正面から切り出した。但し、やつぱり女の方へは背中を向けて、上體を下駄の處へ跼《かゞ》ませながら………
「ねえ、ç
§ã¡ã‚„ん。」
と、再び疊みかけた時、ç
§å­ã¯ã‚­ãƒªãƒ½ã¨ã—た調子で、後ろからどやしつけるやうに云つた。
「ç
§ã¡ã‚„んなんて云はないでおくれ。あたしやお前に名前を呼ばれるやうな弱味はないんだから。」
「はゝゝゝ、お孃さんと云つたのは昔の事です。もう私はこちらの書生ではないのですからな。今ぢや緣もゆかりもありませんよ。」
「緣もゆかりもなけりや、さつさと出て行つたらいゝぢやないか。」
「さう急《せ》き立《た》てないでも直きに出て行きますよ。………だが、ç
§ã¡ã‚„ん、あなたは佐伯に欺されてå±
るんですぜ。こんな男が何で便りになるもんですか。」
「餘計な世話を燒かなくつてもいゝ事よ。うるさいから早くしておくれな。」
かう云ふと、ç
§å­ã¯é›»ç‡ˆã®ç¶±ã‚’é´¨å±
へ懸けて、すたすた奧へ引つ込んだが、å
«ç–Šã®å±
間から、玄關まで打つ通しに襖が明け放されて、門口の格子ががらんと開いたまゝ、叔母もお雪も姿を見せなかつた。
「さあ出來ました。………」
ぺちやりと下駄を緣å
ˆã¸æ”¾ã‚Šå‡ºã—て、鈴木は漸く身を起す拍子に、
「佐伯さん、君はどうしても改心しませんか。」
と、目の前に彳んでå±
る相手を視詰めた。
「君、そんな女ã€
《めゝ》しい事をいつ迄も云つてるもんぢやないよ。僕に恨みがあるなら男らしくテキパキした方法を取るがいゝぢやないか。最後の手段だなんて、口でおどかしたつて、何になるもんか。」
「いや、しかし………」
「馬鹿!」
大渴するや否や、彼は渾身の力を拳に籠めて、耳朶の邊をいやと云ふ程擲りつけた。擲つて了つたら、自分の體が消えてなくなるかと思ふくらゐ、懸命に擲りつけた。此の間からè
¹ã®ä¸­ã§ã°ã‹ã‚Šä¼ã€ŠãŸãã‚‰ã€‹ã‚“でゐた事を到頭實行して、せいせい[#「せいせい」に傍点]したものの、急に胸のつかへが輕くなつた結果、彼はふら〳〵と昏倒しさうになつた。
「たんとお擲りなさい、女はとられるし、男には擲られるし、私も散ã€
ですな。」
「口惜しければ、僕を殺したらいゝだらう、何か刃物を持つて來てやらうか。」
「なにå
¶ã‚Œã«ã¯åŠã³ã¾ã›ã‚“よ、………」にやにやと笑つて、壞へ手をå
¥ã‚Œã¦ã€ã€Œå›°ã‚Šã¾ã—たな、それでは、どうしても改心なさらないんですな。」
「だから殺せと云ふんだ。」
å
¶ã®çž¬é–“、ぴかりとå
‰ã¤ãŸã‚‚のが、鈴木の右の手に閃いて、又外套の蔭に隱れた。
「いくらおどかしたつて駄目だぞ、殺すなら早く殺せ。」
佐伯は新派の俳優が見え[#「見え」に傍点]をするやうに、胸を突き出し、å
©æ‰‹ã‚’背後に組んで空を仰いだ、星がきらきらと綺麗に輝いてå±
る。
それでも鈴木は、まだにやにや笑ひ續けて、容易に斷行するやうな形勢もない。
「ほんとに男らしくない奴だな。殺せないならグãƒ
グãƒ
してå±
ないで此處を出ろ。」
いゝ氣になつて胸倉を押へつゝ、裏木戶の方へ引き擦り出さうとした刹那、
「そらそら御覽なさい。此れでも男らしくありませんかな。」
かう云ふ言葉とå
±ã«ã€ä½ä¼¯ã¯é ¤ã®ä¸‹ã‚’ピシリと鞭で打たれたやうに感じたが、忽ちたらたら血が流れ出した。
「ふん、とうとう斬つたな。感心だよ、男らしいよ。」
よろめきながら、傷口へ手をあてゝ、こんな負け惜しみを云ふ間もなく、鈴木は彼の體を板塀の傍へ踏み潰す如く倒した。さうして、やつぱりにやりにやり笑つてå±
るらしかつた。
喉笛を抉られる時、佐伯は最後の息を振り絞つて不思議な聲を發したが、それは負け惜しみではなく、痛苦のあまり悲鳴を擧げたのだつたらう。痩せてå±
る割合に多量の血液が景氣よく迸《ほとばし》つて手足の指が蜈蚣《むかで》のやうに戰《をのゝ》いてå±
た。

Transcriber's Notes

本テキストは昭和三十三年中央å
¬è«–社刊「谷崎潤一郎å
¨é›†ã€€ç¬¬äºŒå·»ã€ã‚’定本にした。






End of the Project Gutenberg EBook of Zoku-Akuma, by Junichiro Tanizaki

*** END OF THIS PROJECT GUTENBERG EBOOK ZOKU-AKUMA ***

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in paragraph 1.F.3, this work is provided to you 'AS-IS' WITH NO OTHER
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1.F.5.  Some states do not allow disclaimers of certain implied
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or cause to occur: (a) distribution of this or any Project Gutenberg-tm
work, (b) alteration, modification, or additions or deletions to any
Project Gutenberg-tm work, and (c) any Defect you cause.


Section  2.  Information about the Mission of Project Gutenberg-tm

Project Gutenberg-tm is synonymous with the free distribution of
electronic works in formats readable by the widest variety of computers
including obsolete, old, middle-aged and new computers.  It exists
because of the efforts of hundreds of volunteers and donations from
people in all walks of life.

Volunteers and financial support to provide volunteers with the
assistance they need are critical to reaching Project Gutenberg-tm's
goals and ensuring that the Project Gutenberg-tm collection will
remain freely available for generations to come.  In 2001, the Project
Gutenberg Literary Archive Foundation was created to provide a secure
and permanent future for Project Gutenberg-tm and future generations.
To learn more about the Project Gutenberg Literary Archive Foundation
and how your efforts and donations can help, see Sections 3 and 4
and the Foundation web page at https://www.pglaf.org.


Section 3.  Information about the Project Gutenberg Literary Archive
Foundation

The Project Gutenberg Literary Archive Foundation is a non profit
501(c)(3) educational corporation organized under the laws of the
state of Mississippi and granted tax exempt status by the Internal
Revenue Service.  The Foundation's EIN or federal tax identification
number is 64-6221541.  Its 501(c)(3) letter is posted at
https://pglaf.org/fundraising.  Contributions to the Project Gutenberg
Literary Archive Foundation are tax deductible to the full extent
permitted by U.S. federal laws and your state's laws.

The Foundation's principal office is located at 4557 Melan Dr. S.
Fairbanks, AK, 99712., but its volunteers and employees are scattered
throughout numerous locations.  Its business office is located at
809 North 1500 West, Salt Lake City, UT 84116, (801) 596-1887, email
[email protected].  Email contact links and up to date contact
information can be found at the Foundation's web site and official
page at https://pglaf.org

For additional contact information:
     Dr. Gregory B. Newby
     Chief Executive and Director
     [email protected]


Section 4.  Information about Donations to the Project Gutenberg
Literary Archive Foundation

Project Gutenberg-tm depends upon and cannot survive without wide
spread public support and donations to carry out its mission of
increasing the number of public domain and licensed works that can be
freely distributed in machine readable form accessible by the widest
array of equipment including outdated equipment.  Many small donations
($1 to $5,000) are particularly important to maintaining tax exempt
status with the IRS.

The Foundation is committed to complying with the laws regulating
charities and charitable donations in all 50 states of the United
States.  Compliance requirements are not uniform and it takes a
considerable effort, much paperwork and many fees to meet and keep up
with these requirements.  We do not solicit donations in locations
where we have not received written confirmation of compliance.  To
SEND DONATIONS or determine the status of compliance for any
particular state visit https://pglaf.org

While we cannot and do not solicit contributions from states where we
have not met the solicitation requirements, we know of no prohibition
against accepting unsolicited donations from donors in such states who
approach us with offers to donate.

International donations are gratefully accepted, but we cannot make
any statements concerning tax treatment of donations received from
outside the United States.  U.S. laws alone swamp our small staff.

Please check the Project Gutenberg Web pages for current donation
methods and addresses.  Donations are accepted in a number of other
ways including including checks, online payments and credit card
donations.  To donate, please visit: https://pglaf.org/donate


Section 5.  General Information About Project Gutenberg-tm electronic
works.

Professor Michael S. Hart was the originator of the Project Gutenberg-tm
concept of a library of electronic works that could be freely shared
with anyone.  For thirty years, he produced and distributed Project
Gutenberg-tm eBooks with only a loose network of volunteer support.


Project Gutenberg-tm eBooks are often created from several printed
editions, all of which are confirmed as Public Domain in the U.S.
unless a copyright notice is included.  Thus, we do not necessarily
keep eBooks in compliance with any particular paper edition.


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